らんまMLの現状について 19990522

らんまメイリングリスト関連の問題について書いた文書を並べてみました(順不同)。

何が問題となっているか?

インターネットアクセスが普及したここ数年において、それを用いたファン同士の交流はより活発になってきている。その交流は基本的に文字だけでありかつ通信回線を介して行われているのでその単位時間あたりの交流量は必ずしも多くはないが、いつでもどこでも気軽に参加できるので総じてかなりの交流量が認められる。この交流は今後さらに活発になっていくだろう。

ところで、昨今の「らんまML」においては『らんま』にほとんど関係の無い発言が若年層を中心に数多くなされており、MLメンバーに配信されるメールの多数は「らんまML」への投稿とはにわかに信じがたいものである。この現状についてMLメンバーの一部は大いにあきれており苦言を呈している。

脱線が多発するメカニズム

脱線した内容が多数派となるには、『らんま』に関する投稿が少ないことと、脱線した投稿が多いことの2つの理由があるだろう。確かに、現在の日本国内においては『らんま』は目新しいトピックも少なく話題性に乏しいことは認めなければなるまい。しかし、より大きな理由は後者の方だ。

私の観察する範囲では、MLにおける脱線が多発するのは以下のような理由による。毎日がファンの交流日であることを当たり前とする世代が存在する。彼らの一部には毎日のアクティブ参加への強迫観念が見受けられる。ただでさえ乏しい『らんま』トピック流通量ゆえに、テーマに関連しない話題でも「無いよりはまし」と考えて発言している人達が存在する。彼らの中には、その発言が楽しい雰囲気を作っていると考えている者や、その発言が本来のテーマに関する発言を阻害してはいないと考えている者が存在する。MLのシステムゆえに、非アクティブメンバーの存在が見えにくいこと。さらに、メーラーの便利な機能ゆえにレスのラリーをしやすいことが拍車をかけている。

また、ある一つのテーマについて掲示板は、ファンによって多くが開設されるが結果的にいくつかの掲示板へと住み分けがなされていく。それに対し、同じくMLは既存のものがあれば新たに開設がなされることはまず無いし、仮に複数が開設されても結果的に一つに集約されていく。MLはある一つのテーマについて唯一しか最終的に存在しえない、というのは言い過ぎだろうか?。

脱線した会話が移住すべき場(しかもMLと同等かそれ以上の簡便さを持つ場)は事実上、存在していない。

多発する脱線はやがて「らんまML」への失望をMLメンバーの一部に与え、『らんま』に関する投稿意欲を削ぐことになる。そして脱線した会話は更に多数派となっていく。これが現在の「らんまML」の現状なのだろう。

問題の主因

思うに「テーマ(らんまという作品)に関するML」と「ファンの交流の為のML」との区別が曖昧であることに問題の主因があるようです。MLの管理人(こたちゃんさん)のWWWページには「らんまML(メーリングリスト)は、らんまファンのためのMLです」と明記されていますが、その発言許容範囲(脱線許容範囲)については各参加者によって認識が大きくずれているように見受けられます。

ちょっと例え話を

道路で遊ぶ子供達を通行人たちはどのようにみているのだろう。もちろん子供達もまた通行人であることは言うまでも無い。

大人「仲良くなるのは宜しいが、迷惑だから他の場所でやってくれ」。

子供「道路で遊んでると新しい友達も出来るの。それに、他の場所なんか知らないよ」。

君の考え方に最も近いものを以下から選べ(笑)。

私は上記の3番の理念を支持していますので、この問題を解決するにはMLの存在意義を名実共に明確にし、どの程度までの脱線なら許容されるかを確立していくのが宜しいかと思います。新規参入者の為に明文化するのが望ましいでしょう。そして、利用者の実態と利便を考慮しながら、他に場所が無いからという理由を消すために、6番を付加したいと思います。

具体的には「テーマML」と「ファンML」との並立を提案します。「テーマML」への投稿内容は「事務連絡」「テーマに関連すること」及び「ファンMLへの移行案内」とし「ファンML」への投稿内容は「事務連絡」及び「その他」とすればいいでしょう。MLの管理人(こたちゃんさん)にはそんな義務など無いだろうけど、それで頭痛の種を減らせるなら安いものかもしれませんよ(笑)。

「テーマML」への投稿の脱線許容範囲は各発言において「主題がらんま関連」であることとするのが宜しいと思います。この制限により「らんまに関係ないけど余談の部分にレスしちゃえ」を抑制できるでしょう。もちろん、個人宛の電子メールでレスするようにという指導がなされるのも一案です。

ここまでのあらすじ

A「らんまMLは『らんま』を主題とした交流の場。多少は脱線もOK」

B「らんまMLは自由な話題による交流の場。話題を限定すべきでない」

初期のMLは、投稿規範を明示しなくてもある程度のコモンセンスがあった。それは上記のAに近い感覚だった。やがて、小中学生のアクティブ参加が増大してきた。彼らの一部はBに近いセンスをもってMLに参加したのでコモンセンスの存在は崩れてきた。A派は「必要ならば今回も管理人が言うだろう」と暖かく見守り続けていた。しかし、相手が子供であることや投稿量減少リスクにより、よほどひどいケースを除き、運営管理人が権限行使することはほとんど無かった。やがてA派の中からB派に対する不満が出てきたが、既に問題は「冷たい方程式」を構成するに至っていた。B派は事実上の居場所を既得していたのだ。

この問題の構造は単純で選択肢も明らかだ。しかし現状で即決すると、どの選択肢でもデメリットが大きすぎる。らんまML本体をAとするのが筋だろうが、B派の感情的反発はものすごいだろうし、本来の『らんま』関連の投稿量まで激減するだろう。一方、Bとするのは唯一のらんまMLとしての存在意義に関わるだろう。MLは一般に一つのテーマにつき一つしか存在しないことを考えればなおさらだ。そして問題の先送りはB選択より悪い結果になる。

そこで、ML掲示板を設立しそこの意見を取り入れた形で決断しようとした。これならば、Aを選択しても管理人個人及びML全体へのB派からの信頼はゆるぐことは無いだろう。

まえがき2

私は基本的に、ファン同士が様々な話題で交流できる関係を築くことを大いに肯定している。しかし、その交流によって他人に迷惑を掛けるべきではないとも考えている。交流はそれが許容される場においてなされるべきものであり、そのような場は必ずしも既存するわけではない。必要ならば当人らが自力で場を見付けるなり設けるなりすべきものだ。

らんまMLは『らんま』を主題とした交流の場である、と仮定して話をすすめよう。

らんまMLにおいて主題を大きく逸脱した交流が過度に目立つことは、MLの他のメンバーに不快感や疎外感を与え、流し読みの風潮や未読傾向を増長せしうみ、らんまMLへの参加意欲を減少させるものだ。それは、らんまMLの存在意義を減少させることにつながるだろう。ちなみにMLメンバーとしての私は、主題外の交流が目立つこと自体は大して迷惑だと感じていないが、らんまMLの存在意義が減少することの方はあまり面白くないと思っている。

投稿規範の認識共有が有効でしょう

さて、MLは電子メールをもってなす意思伝達の場であるから、MLの活性度は投稿された数をもって表現されるのではなく、どれだけの意思伝達が行われたかをもって表現されるべきだと思う。先述した流し読みの風潮や未読傾向の増長はML活性度を低下させるものだ。投稿数が倍になったが読者数が半減したとして、果たしてMLは活発になったといえるのか?。

現在程度ならばまだその影響は大きくないが、エスカレートする前に何らかの対策を講じておくべきだと思う。らんまMLへの参加者数が今後増加していくことを考えればなおさらだ。具体的には(当たり前のことだが)投稿規範の認識共有が有効だろう。すなわち、投稿内容の主題は全参加者に共通な『らんま』関係であることとする、と明確にすればいいだけだ。もちろん、周囲に迷惑を掛けない程度の脱線は容認すべきだろう。

交流専用ML新設を提案しよう

ところで私は、ファン同士が様々な話題で交流できる関係を築くことは望ましいとも考えているので、それが許容される場を彼らが得られることを望んでいる。普通に個人宛の電子メールで交流するのが筋だと思うのだが、小中学生にはそれすら難しいのかも知れないし面倒なのかも知れないようだ。

そこで、らんまMLと同様の場があれば問題は解決すると考え、らんまMLと並立する交流専用のMLの開設を提案したというわけだ。そこでは、らんまファンとしての自分の生活や個人的なことなどで楽しむことができるだろう。この私も参加するかも知れない(本当か?)。もちろん、社会常識程度の規範は必要だろう。この案は短期的なデメリットもあるが長期的にはらんまMLにとって良い結果をもたらすだろうと考えている。

交流の場はらんまMLだけじゃない

MLというものは一つのテーマにつき一つしか存在しないのが普通である。だからと言って、ファンの交流の場はらんまMLだけではない。もちろん、アクセスできる環境にあるファンにとっては非常に簡便な交流の場であるだろうし、MLだけが交流の場である人達もいることは私も同意している。

この文書を書きながら、インターネットが無かった時代に小中学生のファンたちはどんな交流をやってたかな、と思い返していた。できるだけコストを掛けないことは今も昔も同じだが、交流頻度は大きく異なっている。しかし、その分だけ一回あたりの密度は濃かったように思う。ML以外の色々な交流方法を模索してはどうだろう、と私は提言しよう。そこではMLでは話せないようなことも話せるだろうから、ファン同士の交流を深める上で有効なことだと思う。

おまけ…損害担当艦の変更

まえがきで記した仮定を、らんまMLは自由な話題による交流の場である、と変更してみると別の提案もできる。それは「今まで以上に脱線を大きく許容し様々な話題で楽しもう。そして、『らんま』を主題とする話題を求める人の為に専用MLを新規設立しよう」という提案だ。もちろん、一部の人を追い出す意図があるわけではなく誰でも両MLに参加できるのは前の提案と同様だ。できれば、初期状態は現参加者全員が両MLに参加するのが望ましいだろう。もちろん、デメリットを受ける人達が異なるだけで、結果的に前の提案とほぼ同じ結果になるのだが(笑)。

おまけ2…もし管理者が可能ならば

今までは作品の場と交流の場とを役割分担させるという方法を提案してきた。今度は単一のMLで問題を軽減する方法を提案してみよう。要するに、交流投稿がそれを希望しない人のところに配信されなければいいわけだ。いくらか技術的な解決方法だが、例えば、タイトルに半角文字列"(!)"が含まれているものはn日遅れで配信することが設定でき、半角文字列"($)"が含まれているものは配信の要不要が設定できる、などの機能を加えるのはどうだろうか。

問題解決の順序

「MLに参加する以上、一人前とみなす。対等のファンとして扱うべきだ」と「子供なんだから大人と同列に扱うべきではない」とは、どちらを採用することもできるだけに非常に難しい問題だ。これまでの流れを見る限り後者が多数派のようだ。ネット全体でのルーミックファンの発展の為にも小中学生の諸君にもネット感覚を身につけてもらいたいのは私も同意見だ。らんまMLでできることは限られているが、大人達によるリードによってそれを実現していくことは十分に意義のあることだと思う。

…皮肉なことだが、その為には私信や脱線が多い現在の状態が有用だ(笑い事じゃない!)。もし、うる星MLぐらいまで落ちついてしまったら教育もできないだろう。問題の優先順序は熟考の上で決定されなければならない。

様々な話題で交流

インターネットアクセスが普及したここ数年において、それを用いたファン同士の交流はより活発になってきている。その交流は基本的に文字だけでありかつ通信回線を介して行われているのでその単位時間あたりの交流量は必ずしも多くはないが、いつでもどこでも気軽に参加できるので総じてかなりの交流量が認められる。ファン同士の交流は必ずしもインターネットを介したものに限らないが、やはりその頻度を考慮すると現在ではかなりメジャーなファン活動といえる。この交流は今後さらに活発になっていくことだろう。具体的な交流手段には、電子メール(小規模MLを含む)、大規模ML、及び、ニュースグループ、並びに、WWWページ上の掲示板及びチャットなどがあげられよう。なお、オフ会そのものはあくまで企画通信手段として上記の手法を使用しているだけだと解釈すべきだろう。

元から知り合いだった場合や稀少な偶然の場合を除き、(インターネット上に限らず)ファン同士の交流は「そこにいる人達によってテーマが定められていく基礎的交流」ではなく「あるテーマに集まる人達によるそのテーマに関する機能的交流」からスタートする。ファン同士の交流は最初にテーマありきなのだ。

そして、いくつかの条件が満たされれば、その交流は機能的交流から基礎的交流的なものへと転化していく(社会学的には非常に興味深い現象だ!)。この転化自体は基本的に、「単一の話題で交流する仲間関係」から「様々な話題で交流する友人関係」へと発展したとみなすべきであり、『ルーミック愛好者論』の著者として喜ばしいことだと思っている。

念の為に付記しておくが、「うる星」だけで繋がっていた関係が「めぞん」や「らんま」などでも繋がった関係になったとした場合、それは「うる星」仲間が「ルーミック」仲間になったとみなすべきだろう。

ところでインターネット上における交流はその形態ゆえに、ルーミック以外の様々な会話ができるようになったとしても「(ルーミック)+(その他)」という複数の共通項を持つ友人関係ではなくて「(ルーミック+その他)」という単一の共通項を持つ仲間関係に留まる可能性がある。ルーミックをやめたときに残りの部分で繋がりが保てるか否かで判定できるだろう。

現在のところまったく問題にはなっていないことの一つ

自分が欲しているテーマが場が提示されているテーマの部分集合でしかない場合、例えば、あかねちゃんのファンであり其の他のキャラや作品自体に全く興味を持たない人がらんまMLに参加したとしよう。彼は、あかねちゃん以外の話題が多数はを占めているらんまMLに失望するかも知れない。もっとも、この場合は失望している側に問題があるのだが…。ルーミック全般を扱う場にやってきた『うる星』ファンが、『らんま』の話ばかりなされていることに失望するのは、お門違いだというものだ。

小中学生にふさわしくない投稿への対策

いま挙げられている主な問題点は「らんまMLにおける作品に全く関係無い投稿の是非」及び「ネットにおける反公序良俗の防止」である。ML分化などは前者への対策案だから後者に対して本質的解決にならないことがあるのは論理的に当然だろう。また、交流の場に対する需要は存在するので、誰かがどこかでそういうものを作るかも知れない。ならば、あらかじめ制御下においてしまうという意味でのML分化政策なら十分に成立するように思う。

さて今回は、後者への対策について書いてみようか。具体的な問題点は、小中学生にふさわしくないと思われるネット活動あるいはそのネット感覚について、その実例を持つらんまMLにおいてどのような対策をなすべきだろうか、ということだ。

まず、ネット感覚を身につけていない者の参加を制限するという一般的な手法は、小中学生でも気軽に参加できる趣旨のらんまMLには必ずしもふさわしくないようだ。Kotachanの提案する「高校生以上の参加者がリードしていくことによって小中学生らにネット感覚を身につけていってもらう」というのは、この問題に対して十分に有効だろう。もちろん、単に模範を示すというレベルのリードでは問題が解決しないのは歴史を見ても分かる通り。注意や提案という形のリードなされることも必要だろう。

これは、彼らに理解される可能性が低い規定によってのみ対策するよりは有効な手法だ。また、規定はその有効範囲がらんまMLに限られるから、ネット上におけるルーミックファンを育てるという観点からも大人達によるリードは的を得た方法だろう。

しかし、規定の存在は堅苦しさを与えるなどのデメリットを超えるメリットがある。つまり「ここはらんまMLであり『らんま』を主題とする場だ。管理人モードを持たない自分が運営に関して言うべき場ではない」という意識を軽減させる為に、つまり、大人達が気軽にリードできる環境を作る為に、このMLでの投稿規範が明文化されていることが重要だ。

また、Kotachanさんもリードをなさる際は管理人としてではなく一人の参加者としてリードをなさるのが、参加者の自治意識を育てる上で有効であるように思うのだが、如何でしょう?。

『らんま』を主題とするネタ

『らんま』に直接又は間接に関連すること及びそこから派生した話題。

投稿規範を明確化するべきという別の論拠

投稿規範を明確化すべきか否かは基本的に「堅苦しくなる。明確化しなくても問題が起きないようにするのが理想」と「現実に問題は発生する。それを予防・解決するために明確化すべきだ」とに分かれる問題である。私は、性悪説で計画し性善説で運営せよ という主義であるので後者を支持している。

昨年の4月前半だかの話(いずれのMLだったかは失念)。甲が「グッズを競売したい」とMLに投稿。乙が「それは高すぎですね」とMLに投稿。甲が「営業妨害だ」とEメールを乙に投函。乙が「営業妨害と言われた」とMLに投稿。そして、ML上には少々の混乱が見られた。

ML上での売買投稿の是非(別の機会に述べたい)はともあれ、これも投稿規範が明示されていればML上での混乱はいくらか防げてたと思う。同様のトラブルを予防する為にも投稿規範の明確化を強く提言する。なお、投稿規範を決定する権限を持っているのは、開設&運営管理者であるKotachanさんにある。今更になってから投稿規範を明確化すると既得権者からの反発があるだろうが、それも明確化を先送りにしてきた結果だろう。

投稿規範を明確化するべきという別の論拠2

ML掲示板を読んだ人は、おそらく現状のコモンセンスの概要を把握できたのではないかと思う。しかし、将来の参加者らがここでの討論を必ずしも読めるとは限らない。よって、分かりやすい場所に投稿規範を明確に記した方が宜しいように思います。

高齢者の投稿はなぜ少ないのか?

『らんま』の連載や放映が終了してから数年が経っている。近年の『らんま』には目新しいトピックも少なく、すなわちMLへ投稿すべき内容も時事的なものが少ない。しかし『らんま』は、クラシック音楽のごとく、新たなファンを生み続けるだけの魅力を今なお持った作品だ。必然的にMLに投稿される内容は、身の回りの『らんま』の話題や新しいファンによる作品感想やなどの比率が多くなる。

高齢者は社会的責任もあり忙しいというのも、高齢者の投稿量が少ない理由の一つだろう。また、インターネットが普及していなかった時代からファンしており、らんまに関する交流の場はMLに限らないこともいくらか影響を与えているようだ。

長くファン活動をしていると、同じようなネタに出会うことも少なくない。恐らくは、らんまMLに参加している高齢者(私は老齢者?)らの多くは、それなりに長くファンをやってきた人達ではなかろうか。フレッシュマンにとっては新しい話題でもベテランにとってはいつか見たネタにすぎないこともある(時事ネタが少ないしな)。ゆえに、ベテランはフレッシュマン同士がそのらんまネタで会話するのを暖かく見守る(別の言葉でいうと、反応しない)傾向を持つのではなかろうか。実を言えば、私もこの傾向が強いですね。

ここで、流し読み程度又はほとんど読まない参加者DOM(Download Only Member)について考えてみる。ML全体的にDOM傾向が進行しているのは事実だろう。DOM(高齢者に多いようだ)が投稿しにくい理由の一つは、MLに投稿しようとらんまネタを思いついてもそのネタが過去ログにあるんじゃないかという危惧を感じてしまっているからではなかろうか?。しかも全ての人が膨大な過去の投稿(例えば1ヶ月分)を検索できるとは限らない。多数は、せいぜいタイトルの一覧から推測するぐらいしか出来ないのではなかろうか。この意味でも、タイトルには内容を表すものであることが強く望まれる。DOMになってしまった人達が投稿を再開しやすくなるのみならず、恐らくは参加者全体にとってもメリットがあるだろう。また、掲示板 などで最近の話題一覧を表示してもいいかも知れない(ちょっと親切すぎるきらいはあるが…)。ちなみに私は、未読は貯めるけど目は通してますよ。