インデックスに戻る


作品は消費するだけのもの?

 つい先日、関西地方で『うる星』の再放映が終了した。もちろん、『うる星』を視聴していた人々がみんなファンとして残るわけではありません。再放映中のあいだは「面白い!」と感じていても、放映終了後はすぐに他の作品に興味を移す者は少なくないのです。本放送の『うる星』のときだって大多数が次の作品や他の作品へ移っていきました。ただ当時の母集団が大きかったから、残っているファンも多かったように見えるだけにすぎません。しかるに現代においては母集団は当時ほどではないので、再放映後もずっと残るようなファンは少ないことでしょう。
 ところで、その残存比率は当時と比べても低いものであると予想されます。なぜ、ファンでいつづけることが難しくなったのでしょうか?。ちょっと考えてみました。

 実際に本放映のときほどのファン数がいない為に、スケールメリットが無く、すなわち業者からグッズ販売などが無かった。よって、愛好の対象となりえたのは番組そのものだけであった。しかも、それは週に1回の放映ではなく毎日の放映だったので、作品を咀嚼する期間が少なく、各話を単純に消費するだけでの傾向があったのではないか。また若い世代の感覚では、どうやらマンガやアニメは「消費するもの」らしい。つまり、ずっとルーミックを好きでいるつもりはもともと無い人が多かったのではないか?。だから、かっての栄華を知っている古参のファンの考え方自体が理解できないのかも知れない。きっと、ファンが増えれば供給も増えるということを実感していないのだろう。それ以前に、ファン側が動くことによって供給側に変化を要求するという感覚自体が分からないのかもしれない。

 …ともあれ、押しつけるつもりはまったく無いが、単純に消費するのではない楽しみ方をいろいろと紹介していきたいと思う。