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日暮家の家庭の事情 19991114

 ずいぶんと前から考えてたことなのだが…。
 なぜ日暮家は、かごめが中学校に通わずに戦国時代にトリップし続けることを許容しているのであろう?
 ここで、思い出して欲しいのは、第1話でかごめが「じいちゃんからなんど聞かされても、忘れてしまう」と言っていたことと、犬夜叉が初めて現代にやってきたときに家族の驚き方が異常なほど小さいものだったことだ。さらに、日暮家は、桔梗や楓の子孫であると推察される。しかるに、連載の現段階では彼女らに子孫がいるという描写は見当たらない。
 そこで、かごめちゃんが戦国時代で犬夜叉と結婚して、それが日暮家の先祖になったという仮説を立ててみた(もっとも、これでも日暮家が桔梗や楓の子孫となるわけではないのだが…)。その話が先祖代々から言い伝えられているならば、かごめが戦国時代に行ったままであることを日暮家は容認どころか奨励せねばなるまい。なお、第7話でかごめの祖父は「時の流れであるとするなら…」の次に「かごめが昔に行ってしまう」と感情的に考えて井戸を封印したのだろう。しかしその後は言い伝えを真剣に考えて「やはり言い伝え通りにすべきだ」と考えるようになったのではなかろうか?

 高橋留美子先生の短編『炎トリッパー』のモチーフと同様に、かごめは戦国時代生まれだったという可能性を考えてみた。骨喰の井戸のタイムトリップは描写により、ある固有の期間だけのものらしい。つまり、戦国時代で3日を過ごして戻ってくれば現代でも3日が過ぎているということだ。
 もし、かごめが戦国時代の生まれであり骨喰の井戸を渡って現代にやってきたのだとすれば、楓が45歳の頃にかごめは生まれた計算になる。根拠としては薄いが、裏陶が桔梗を復活させようとした時点で桔梗の魂は既に転生していたことを思い出して欲しい。
 戦国時代生まれの可能性はないわけではないようだ。もちろん、そうでない可能性も十分にある。

 ところで、ここ数年の高橋留美子先生は短編において家族の絆などを重視したものを多く発表している。そこで、父親不在の設定に何らかの意味があるのではないかと考えてみた。
 『犬夜叉』という作品において「父親」という概念は必ずしもまったくないわけではない。それどころか、犬夜叉の父しかり、弥勒の先祖しかり、珊瑚の父しかり、七宝の父しかり。かごめと同行しているそれぞれのキャラの「父」について意味のある描写がある。連載の現段階では不明だが(来週あたりに判明か?)、登場したばかりの神楽の父親は奈落ではなかろうか?
 もしかしたら、今後の『犬夜叉』で、かごめの出生の謎についての話が発表され、その時にかごめの父親が描写されるかも知れない。