少女の幻想 19991121

連載初期の『犬夜叉』は現代と戦国時代とを行ったり来たりしながらの多重時性を持つ作品と思われた。だが連載が進むにつれて、現代に妖怪や四魂の玉が登場しなくなり、つまり幻想的な描写が無くなってきた。もし今後も現代編が発表されることがないならば、『犬夜叉』という作品の存在異議は大きく変化したと言えるだろう。具体的には、『犬夜叉』と「ファンタジーRPG」との類似性がより強調されて見えてくるということだ。

運命的な存在理由が与えられた日暮かごめは、はじめは小さな目的で戦国時代に行っていたが、仲間と出会い互いの能力を補いながら協力していくうちに、より大きな目的を持つようになる。戦国時代の展開はまさに典型的RPGだ(余談だが、ある種のファン活動にも似ている)。このRPG風のデザインは現代の小中学生にも容易に受け入られるものである。

しかし、私はもっと重要なポイントを提示したい。連載の現段階において、かごめは戦国時代にも現代にも自分の居場所を持っている。しかもそれらは互いにほとんど関与しなくなっている。かごめが現代に戻ることはRPGシナリオのセーブに相当するものになっているのではなかろうか。RPGの世界に(しかもリアルな双方向コミュニケートシステムに)はまり込んだ少女が、登場するキャラに恋し、現実の男の子よりもそのキャラに魅かれていった。このような構図をみることもできるのではないだろうか。

もしもこの構図が連載途中から想定されていたならば、『犬夜叉』の最終回の予想の一つに「さようなら、少女の幻想」という形が、通常予想されるものの他に発生し得る。名作はハッピーエンドとは限らないのだ。最初は読者を作品に引き付けておいて最後に残酷だが教育的なテーゼを送りつける手法は、確かに御伽噺において非常に有効な手法だ(そういえば犬夜叉の副題には「戦国御伽草子」というものがあったはずだが…)。もちろん、矛盾をフォローする描写も必要になるだろう。また、若いファン達を泣かせない為に、救いのある形式にするだろう。たとえば、かごめは現代に戻り犬夜叉の転生を待つ形式などなどだ。まさか、夢落ちはやらないと思うが…。

まぁ、これは現代編が今後もまったく描かれない場合における一つの可能性ですけどね。いずれにせよ日暮かごめが現代生まれとして設定された理由を合わせて考えると、なかなか興味深いものがあります。

追記20000801

高橋留美子先生によれば「『犬夜叉』は絶対にちゃんとまとめるつもりです。この手の話だから本当のハッピーエンドにはいかないと思うけど、皆さんがどこまで納得する終わり方にできるか着地点を慎重に考えないといけませんね。」とのこと(犬劇パンフより)。