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オタクの存在可能性
人は一般に複数の社会に属しています。そこで人は、より強い社会のルールをより弱い社会のルールよりも優先させています。
なぜならば、よほどの条件が揃わない限り、強い社会のルールに反することはより強い制裁を受けるからです。
しかし十分に条件が揃っている場合に、より弱い社会のルールを優先させる人も存在し得ます。
私はオタクを「自分の趣味やその仲間内でのルールを一般社会や家庭でのルールよりも常に優先させる人」と定義しております。
簡単に言えば、生活を犠牲にしてまで趣味を優先する人です。
オタクというものはどんな社会にも存在し得ると思います。ただ、それが存在し続ける為には十分な経済力と生活基盤が必要です。
それらが確保された場合にのみ、オタクは存在し続け得るのです。
生活基盤のない者が子供じみた趣味にはまりこんでいると「オタクの趣味」とされ、良く扱われることは少ない。
これは、社会の一員としてなすべきことをやらずにはまっているのが原因です。
社会的に成功していると言われている人々が、同じような趣味にはまったところで「先生の道楽」で済みます。
社会の一員としてやるべきことをやり、その上で趣味にはまるならば特に問題とされることはないのです。
日本の「オタク」があまり良いニュアンスを持っておらず、欧米の「OTAKU」がそれなりに良いニュアンスを持っているのは、
ここに違いがあるからだ。欧米でオタクが評価されているからといって、日本でもそうなると単純に考えるのは問題があるでしょう。