交流の管理 20000320

インターネット上などが普及する遥か以前から、サークル集会などでファン同士が互いに知り合う機会はあった。そして、ファンの交流の場(いわゆるサークルやお茶会など)を提供し運営する者(以下、運営者)にとって、その参加者同士の個人的な交流におけるトラブルはそれなりに頭の痛いことだ。

私はしばしばそれらの問題の構造を解析し一般化してきた。私は、自分が直接に介入して個々の問題を解決するよりも、問題を解決の為の道具を広く提供した方が全体として効率的だと考えているからだ。ついでに言えば、当事者らから頼まれもせずにお節介を焼くほどヒマでもないしな(笑)。

ちなみに、「場」における個人交流に対する運営者のスタイルには基本的に3種類ある。まず、「場」における交流を認めるスタイル、次に、「場」における連絡は認めるが交流自体は認めないスタイル、そして、「場」における交流も連絡も認めないスタイル、である。

重要なことだが、運営者には、連絡や交流の為の他所の場所を提供する義務はない。

さて、トラブルが「場」に迷惑をかけている場合(これは「場の参加者」に迷惑を掛けている場合とは必ずしも一致しない)には、運営者はトラブルに対し介入する権利を持つだけでなく、介入すべき義務もしばしば負う(いわゆる管理責任というものだ)。

しかし逆に言えば、「場」以外におけるトラブルに対しては、運営者は必ずしも介入する権利も義務も持っていない。もちろん、当事者らの了解があれば介入することもできるが、それは運営者としてではなく個人としての介入となるべきものだ。また、介入は「場」においてではなく「場」以外において行われるべきものだ(その「場」自体がトラブル解決を担う役割を併せ持つ場合などを除く)。

サークル内での恋愛問題を例にとろう。それがサークル活動の場に迷惑を掛けていない限り、運営者は介入の権利も義務も持っていないことが容易に想像できるだろう。そして、場に迷惑を掛けている場合でも運営者は当事者らに対して、「ここは交流の場であり恋愛又はトラブル処理の場ではない」などの対応や「サークルの活動の場では恋愛禁止」などの予防を行うことができるにすぎない。彼らの恋愛に対しては基本的に、運営者といえども部外者であるからだ。

話を一般論に戻そう。しかし実際問題として、運営者の地位にある者は唯一の介入可能な者であることが多く、内外から「介入して欲しい」だけではなく不合理にも「介入すべきだ」という意見までもが寄せられる(運営者自身が「介入したい」と考えることもあるだろう)。

つまり、運営者には介入する権利がない状態であるにも関わらず介入の要請が押しつけられるのだ。そこで、運営者はその押しつけられた要請を名目にする為に運営者の立場で問題に介入することが多い。ところが、当事者らの了解を得ずに介入を行えば、運営者の越権行為になってしまう。

管轄外の問題に介入するときは、くれぐれも当事者らの了解を得ることだ。場合によっては、「周囲の要請に応えないことによるリスク」と「当事者からの恨みを買うリスク」とを天秤に掛けなければならなくなるだろう。

管轄外の問題に介入するときに当事者らの了解が得られない場合には、「場」における制裁処置をちらつかせて介入を了解させる脅迫も有効だろう(善悪は別にして…)。やるときは脅迫だと受け取られないように巧妙にやること(笑)。

もちろん、大抵の場合はそんなことせずとも介入の了解は得られるだろうが…。

なお、上記の話はインターネット上の交流の場合にもあてはめることができる。個人のサイト内などは当然にその運営者の管轄領域内であるといえるだろう。