インデックスに戻る

炬燵にはミカンがよく似合う 19951202

1986春に実在したあるマニアの台詞
「めぞんは嫌いだ。なぜなら、めぞんが存在しなければ高橋留美子先生 はより多くの力をうる星に注ぎこむことができた筈だからだ」。
 ミカンとモモ、共に甘みという共通の要素を持ち合わせた果物である。 ミカンを好きなある人が「モモを好きではない」ではなく「モモを嫌い」であ る理由として「ミカンが好きだから」と主張する為には、ミカンを好き でいることがモモによって妨害されるなどの合理的な事象が存在しなく てはなるまい。さもなければ「モモはミカンのような酸味を持っていな いから嫌いだ。モモもミカンのような味になるべきだ」のような滑稽な 話になってしまう。

 フルーツパーラーの常連である私は、この手の論争を幾度となく見聞 きして参りました。面白いのはキャベツはどう?と尋ねると「好きでも 嫌いでもない」と返ってきたりすることです。キャベツには、ミカンの ような酸味がない上にミカンのような甘みもない筈なんだが…。

 近年のフルーツパーラーに出入りする我々には、モモを嫌うべき合理 的な事象(例えば、冒頭の発言のような?!)はないだろう。故に、我 々はそれぞれの果物の魅力を解析したり比較したりすることはあっても、 各自の嗜好は互いに尊重することが十分に可能である。そして、それは フルーツパーラーに出入りする者の社会的責任でもある。
ミカン = ルーミック作品A。
モモ  = ルーミック作品B。
キャベツ= 非ルーミック作品X。
果物  = ルーミック作品一般。

ちょっとミもフタもなかったかな(^-^)!。

 モモにミカンの酸味を求めるつもりはないし、ミカンにモモの歯ごたえを求めることもない。