チャットを開設するにあたり、どんなCGIを採用するか(あるいは設計するか)は非常に重要な問題である。
例えば、発言入力欄のサイズを考えよう。入力欄が小さいと発言文章のサイズも短くなる傾向がある。発言入力欄は、文章の入力だけでなく、それを編集したり推敲したりする場所でもあるのだ。もちろん、過度に長い発言はチャットシステムには向いていない。せいぜい200文字ぐらいまでとするのが適切であるように思う(CGI側で制限すればいい)。
また、チャットの過去ログがどれだけ参照できるかを考えよう。すぐにログが流れてしまい、過去の発言を参照できないシステムにおいては、会話が断片的になる傾向があるようだ。また、すぐに会話が流れるので冗句の許容範囲も広くなる。
逆に、過去ログが長く残るチャットでは、チャットの繁盛時間帯や雰囲気が新参者にも分かりやすい。待ち合わせ掲示板が不要である上に、コモンセンスの形成が比較的容易である。また、長い過去ログを閲覧可能なら常に覗く人は減るだろう(サーバの負荷も軽くなる)。
外からチャットを覗いている人数を表記すれば、チャット参加者は彼らを招き入れるかも知れない。
伝言機能(いわゆる私信)とは、在室していない常連にメッセージを残すものである。簡易なメッセージを送ることができ、そのことをチャット参加者にも公開することができる。
プロフィール機能は、自己紹介クッキーのようなものだ。登録されたハンドルで参加することにより、自己紹介文を毎回打ち込む必要がなくなる。
ささやき機能は、特定のチャット参加者にメッセージを送る機能である。もちろん管理者はその内容を知ることが出来るので、管理者の悪口は言わない方がいいだろう(笑)。多くの人はICQなどを用いてメッセージのやりとりをしている。
ルールや運営思想に関するページは作成しておいた方がいいだろう。これは、チャットのコモンセンスを形成する上で有効なことである。
あいかわらず、交流用コンテンツの管理行為に対して文句を言う人がいる。彼らの言い分は「WWWサイトは公共のものであって民主的に運営されるものだ」ということらしい。
確かに、ほとんどのサイトは誰でもアクセスできるものである。しかし、それらは、世の中の全ての人に向けて設計されているわけでもなく、たいがいはその興味のある人たちに向けられたものだ。あえてきつく言えば、ルーミックファンサイトの交流用コンテンツ(掲示板やチャット)は、公共的なネットワークの一部を間借りして、そこにファンたちが集う場所を設営しているだけである(笑)。
「掲示板やチャットは民主的に運営されている」と誤解している人は少なくない。もし「民主的な運営」とやらを「みんなの意見をよく聞いて運営すること」というのならば、それは必ずしも民主的であるとは限らず、むしろ「優しい独裁者による君主的な運営」というべきものだ。
まったく、「民主的は善で君主的が悪」だと誤解している人のなんと多いことか。そういう人たちは、まずは「民主的」という言葉の意味をしっかりと勉強しなおすことだ(苦笑)。民主的な政治でも国民が不幸になることもあるし、君主的な政治でも国民が幸福になることもあるのだよ。ただ、後者の方が善悪ともに極端になりやすいことは同意するがね(笑)。
民主的運営ってことは参加者の権利でもあるけれど責任でもある。歴史的な言い方をすれば、君主や貴族たちから政治を奪った大衆には、政治を行う責任が発生するわけだ。
WWWサイトの交流用コンテンツの運営にあてはめよう。例えば、ルールは厳しくしない方がいいと参加者みんなで決めたとする。その結果として発生したことに対してその「決めた人たち」はどうやって責任を取るんだい?(彼らに責任を取らせるべきだという意見にはもちろん賛成するが、ここでは管理責任のことを言っている)。匿名性の高いネット上ではそれはあまりにも難しい話だ。
だからこそ、みんなの意見は聞くかも知れないが決定は運営者が行うというスタイルが、ほとんどのWWWサイトで採用されてるわけだ。ようするに、管理責任を取らないやつらに管理権など与えるわけにはいかないってことだよ(笑)。
管理を受けたくない人はその場を去るべきかという話はまことにその通りである。そして、代わりの場を探すのはその参加者自身のやるべきことだ。
WWW上で公開してもまったく問題にならない情報としては、ハンドルとURIぐらいだろう。これらをWWW上で尋ねることはネチケット違反にならない。
WWW上で、本名や電話番号などの個人情報を尋ねるのは一般にネチケット違反だとされている。自分から公開する分には構わないが、そのリスクを見積もれないうちは公開することを控えた方がいいだろう。比較的安全な個人情報としては、メールアドレス、性別、職業、居住地域、趣味や嗜好、ネット接続時間帯、よく出没するチャットルーム(笑)、などが挙げられる。
この「卓上打算機」が交流用コンテンツを置かない理由の一つを書いておこう。
私は、基本的に自由度が高い交流用コンテンツ運営思想を持っている。これは同時に参加者の自己責任を強く要求するスタイルだ。全世界に公開され得る場所で発言するには、そのくらいの覚悟と責任を持ってもらいたい。
実際に交流用コンテンツを私が運営するとしたら、本名と連絡先を私と相互通知した人たちだけに発言が許されたものになるだろう(それらの情報は基本的にネット上で公開されることは無い)。個人情報を私に公開したくない人は無理に参加してもらわなくても結構だ。発言されたものはもちろん誰でも閲覧できるものとする。
もし作品についての掲示板やチャットを開設するなら、ルーミックに関連する限り性的なものでも暴力的なものでも電波なものでも廃なものでも、犯罪にならなければ書込可としようと思う(笑)。それとは別に、ファン活動における企画やトラブルなどを専門にする硬派な掲示板やチャットを作るかも知れない。
まぁ、需要が見込めそうに無いというわけだ(苦笑)。