頻繁に巡回するチャットや掲示板など
『らんま1/2』週刊誌連載分(1987年36号〜1996年12号)です。雑誌から切り抜いて束ねると、厚さ40cmぐらいにまで圧縮できます。
専門家による長年の研究によれば、ラムちゃんは三白眼である。異論は認める。
殺風景な部屋ですがそれなりにアクセントも付けてます。そろそろ梅雨なので、レインコート姿のの天道あかねのセル画(熱闘編75話;縦72cm)を額縁で飾ろうと思います。「侘び(Wabi)・寂び(Sabi)・萌え(Moe)」は日本の伝統的な美意識です。
9月にコトブキヤからフィギュアモデル『(ARTFX J)ラムちゃん』が発売されます。
サイズは1/7です。キバなど細部まで凝った造形であり全体的に高いクオリティだと思います。顔の雰囲気(特に瞳のデザイン)は作監違いのレベルなので許容範囲ですが、現代風のスレンダーなボディと輪郭はもはやキャラデザ違いのレベルです。あたかも他の作品のキャラクターが頑張ってラムのコスプレをしているかのような印象を抱きます。 < その頑張りは認めます(笑)
過去に市販されたラムちゃんフィギュアの中では『ラム3(1/4)』(ムサシヤ)が良いと思います。おおよそ40cmぐらいありますが、寝ポーズなのでかなり安定しています。腕の良い塗り師に塗装を依頼しようと当時から思ってるのですが、いまだにコレクションとして保管したままです。
自室に飾るのは基本的に「良いものを数点だけ」としています。この『ラム3』はいつか飾るつもりです。
午前は墓参で昼は武器屋。午後は池袋で「つあーすたっふ」の集まり。あるイベントのスタッフ集団ですが、そろそろ30年になります。長続きする関係に感謝。
コタツネコ特大ぬいぐるみが届きました。
コタツネコとは『うる星やつら』(高橋留美子/小学館)に登場するキャラクターです(単行本11巻/文庫版6巻/アニメ74話)。江戸時代に炬燵に入れてもらえなかった野良猫が現代に化けて出てきたものとされています(余談ですが、江戸時代の炬燵は掘り炬燵なので猫を入れると一酸化中毒になります)。白地に黒のブチがあります。原作登場時の体長は1mちょっとでしたが、次第に大きくなっていきます。キセルを喫います。好物はタイヤキです。おユキの次に強いと評されています。
30年ほど前にも「コタツネコぬいぐるみ(こたつ付き)」が限定販売されましたが、手が出せる値段ではありませんでした。そんなことを思い出しながらダンボール箱を開けます。イメージしてたのよりも大きなコタツネコと目が合いました(笑)。触り心地もなかなか良いです。
小型テーブルとあわせて階段に置いてみました。
リアルに「階段に猫がおんねん!」ができました!!
日暮かごめと犬夜叉とで“何匹かの妖怪を相手に、誰がより多くの四魂のかけらを集められるか”を競うゲームです(私のセットには神無や殺生丸や鋼牙が含まれてました)。自分の手番に選んだダイスの目に応じてダメージチップを妖怪に割り当てていき、妖怪が倒されたときに貢献度に応じて四魂のかけらを獲得できます。ボドゲ的に一言で説明するなら『サムライ・ダイスゲーム』です(アクションダイスゲームと銘打ってますがプレイヤーの敏捷性は不要です)。遊ぶならアドバンスルール「妖怪の嵐」を採用することをオススメします。
ボードゲームとしては良くできていると思いますが、一般的な犬夜叉ファンが遊ぶには難しいと思います。「なぜ『犬夜叉』にしたのか?」と小一時間ほど問い詰めたいです。
今日の高橋留美子ファンのお茶会(@東日本橋)で議論されたこと(展示会開催の件)については、以下のように認識しています(意見を求められたので…)。
著作権法に明示されていない著作物利用は、著作権の侵害にあたることもあるし著作権の侵害にあたらないこともあります。どういうことかと言うと、著作権法は権利者の経済的利益を保護することで文化の発展を図る為のものですので、権利者には第三者による勝手な利用を黙認する権利もその判断を留保する権利もあります。例えば営業や宣伝の観点で利用を黙認した方がいい場合には著作権者はその利用を黙認することができます。
その一方で、別の第三者が勝手に「許諾を得ていない利用は著作権侵害にあたる」と決めつけることは、著作権者固有の黙認権を明らかに侵害しています。それどころか著作権者があえて黙認しているのにそれを阻害するのは営業妨害にあたるかも知れません。その別の第三者ができることは、著作権者に通知することまでだと思います(その場合でも著作権者は判断を留保することが多いです。なんせ前例を作ると後が面倒ですから)。
もっとも、名目の如何を問わず著作物提供の対価を徴収しなければそもそも問題にならないので、展示会についてはこの方向で進めるのが良いと思います。
ちなみに、この「黙認」というのはあまりにも曖昧であるだけでなく、現実的に利用の把握(特に海賊版)が困難であるので、著作権法の非親告罪化(つまり海賊版を取り締まるために第三者が侵害か否かを判断できるようにすること)が図られてます。ただ、この非親告罪化はフェアユース規定(許諾を要しない利用の条件を広く明示的に定めること)を伴う必要があると思います。マンガやアニメの二次創作においてはグレーゾーンがなくなるので(つまり二次利用の範囲や条件が広く明示されるので)、フェアユース規定が伴われるのであれば著作権法の非親告罪化はむしろプラスになるだろうと思います。
コタツネコの特大ぬいぐるみ(座高72cm)が限定70体で発売されるので、さっそく予約しました。主な問題は保管場所です(冬場はコタツにセット)。追記。16日(日)には既に売り切れ。
声優の永井一郎さん(82歳)が亡くなったそうです。
磯野波平(『サザエさん』)やヨーダ(『スターウォーズ』)の声の人であることも承知してますが、私にとっては錯乱坊(『うる星やつら』)や八宝斉(『らんま1/2熱闘編』)など“るーみっくアニメ”の声の人です。ほんの数分でしたが直接お話したこともあります。
これも「さだめじゃ!」なのでしょう。ご冥福を祈ります。
声優さんが亡くなるたびに「音声データベースを残しておいて欲しかったな」と痛感します。十分なデータがあればいつかボーカロイド声優が実現できるだろうからです(ただし、新人声優の仕事を減らすことにもなるのでメリットばかりでもありません)。また、『うる星』や『らんま』でアニメ化されてない話の台詞だけでもあれば、その音声にあわせて動画を作れたかもしれません。< 余談ですが、仮面ライダーやスーパー戦隊の俳優さんたちも数十年後の再登場のときの為にあらかじめ「おまえがこの時代のライダーか。がんばれよ!」のような音声を残しておいて欲しいです。
さて、今夜は『うる星』を観ながら追悼するとしましょう。
おおよそ十年振りでしょうか、今日の午後は二十数年来の友人と会ってきました。互いに高橋留美子ファンとしては達人級ということで会話のテーマはあいかわらず「るーみっくファン論」です。「るーみっく文化祭」や「るーみっく同窓会」や「文化財としてのグッズ」や「パソコン通信時代の文章の再利用」や「2020年に外国人向けの企画」などについて徒然と話してきました。特に「今の私たちには出来ないこと。今の私たちなら出来ること」は興味深いテーマでした。
連載当時に私たちが読んでいた高橋留美子作品も今の人たちが読んでいる高橋留美子作品も基本的には同一のものです。だから、当時の考察は今でもきっと有用だろうと思います。少なくとも連載当時はこのように考えられていたという記録は私たちの世代が残さなければ誰も残すことができません。
次に会えるのはまた数年後になるでしょう。熱い魂は健在だと信じてます。
私が中高生の頃に使っていた缶ペンケースと同じものがヤフオクに出てたので、数秒ほど思案してから入札しました。昨今に競合者がいるはずもなく初期価格のままあっさり落札できました。
さすがに実生活でこれを使う機会はまずないでしょう。ただ、「これが私が中高生の頃に使っていた缶ペンケースです」と記録に残す為だけに買ったようなもんです(笑)
懐かしい絵柄を眺めながら当時のことをいろいろ思い出してました。
『リベンジドール 復讐人形』は、本日発売のビッグコミック(第20号)に掲載された高橋留美子の新作です。毎年恒例の高橋留美子劇場シリーズとは別物ですが、ファンの間ではほとんど同一視されてます。
ネタバレにならない範囲であらすじを書けば、呪いの人形を入手した落ち目のマンガ家が編集やアシたちを呪っていく話です。いったんは改心したものの…。と言うわけで、マンガ家ならではのオチになってます。事前にはホラー作品だと言われてましたが、どっちかと言えばダークコメディだと思います。面白かったです。近年の作品の中では佳作に入ると思います。
作業部屋や小道具は高橋留美子先生の仕事場がモデルになっていると推察されます。今でも『MONO消し』を愛用しているみたいです(SSG1巻を参照)。
こういうテーマの作品は、実績を持つベテランにしか描けません。新人がこのようなテーマを描いたら確実に編集部に干されるでしょう(笑)
主人公の油田仙太郎が十年前に描いたという『復讐ドール』も読んでみたいですね。キャラは高橋留美子先生によるキャラですから。また、アシスタントの風見俊介が描いた『レッド★スター』は留美子先生のアシスタントさんによるキャラだと思います。
2007年春にある友人と約束したことがあります。私が管理してたアニメ系チャットサイト(ちなみに『犬夜叉』ファンサイトね)での会話です。
S君「もし、俺が倒れてあの娘がおかしくなってたら宜しくお願いしてもいいですか??」
新井「ええ、いいですよ。できるだけのことはします。いちおう、あの人に信頼されている唯一の成人男性らしいので…」
なお「あの娘」とは娘さんではなくS君の彼女Yさんのことです。彼女は看護師志望のバイセクでちょっと変わった人でした(私のマイミクです。ずっとログインしてませんが)。二人はチャットで知りあい、ネットを通じて交際してました。距離もあったので、リアルで会える機会はほとんどなかったそうです。それに、S君は先天性の病気があってしばしば入院してるとのこと(S君の写真を見せてもらいましたが、すごく色白で女の子っぽい華奢な体格でした)。
さて、古い諺に「遺児を託す」というものがあります。余命が少ない男が自分の子供を信頼できる友人に託すという意味です。きっと、S君はちょうどそんな心境だったのでしょう。保護者的な意味とはいえ、男が男にこれだけのことを頼むのは相当な信頼あってのものだと思います。
だから、引き受けましたし、その後も機会を見てときどきYさんの様子をそれとなく見守ってました。いつしかS君とは連絡が取れなくなりましたが、Yさんの話によればときどきケンカしたり仲直りしながら交際は続いていたそうです。そして、半年ぐらい前にYさんと会話したときにちょっとした報告を受けました。
Yさん「あ、そうだ。あらいさんに報告することがあります。S君はS君でなくSさんでした。来週はディズニーでデートしてきます♪」
あらい「…もういいよね?」
高橋留美子作品のファンでありながらその可能性に気がつかなかったのは不覚でした。 < まあ、約束なくてもときどき様子は見てるけどさ(苦笑)
こないだの休日に『境界のRINNE』(1〜18巻)まとめて読み直しました。『うる星』や『らんま』のようなパワフルな作品と違って、まったりのほほんと読める作品だと思います。キャラクターのカップリングにはさほど興味ありませんが、恋愛的にはぜんぜん成長してないですね(笑)
「ラムの髪の色はLDの色彩に非常に近い」の出典が見当たらないという話を見掛けましたが、少年サンデーグラフィックうる星やつら14巻89頁にしっかり書かれてます。
五代裕作(『めぞん一刻』)がいつ禁煙したかについては、このあたりが参考になると思います。
Wikipediaには「物語当初は喫煙する描写があるが、途中から無くなる。アニメ版では響子のために禁煙したと発言している」と書かれてます。
二十数年前のものすごく曖昧な記憶で何ですが…。年齢制限あるいはポイ捨てについてのポスターに五代くん(原作絵の流用)が用いられたという記事をどこかで見た覚えがあります。そのポスターに出演したから禁煙設定になったのか、禁煙した後にそのポスターが作られたのか、あるいはぜんぜん関係ないのか、さすがに分かりません。
最近のサンデーは夕方に売り切れてることがあります。表紙やポスカの為に少年サンデーもう1冊を買っておくべきか。
『らんま』連載当時には既に「ラムちゃんの絵柄が変化した」と言われてましたし、『犬夜叉』連載当時も同様に言われてました。それらの頃と比べても、更に変化しているように思います。
ビッグコミックオリジナル第6号(3月5日発売)に、高橋留美子劇場『私のスカイ』が掲載されました。予告を見たときには「『俺の空』のファミリー版みたいなもんかな?」と思ったのですが、もちろん予想は外れます(笑)
ネタバレにならない範囲で導入部を書きますと「愛犬が老衰で亡くなったら、老人の幽霊が犬飼さんのところにやってきました。ゴミ分別問題でアパート向かいの夏川さんに注意することになった犬飼さんですが、凶悪そうな男が出て来て…(以下略)」という話です。この話のテーマは、ペット問題やゴミ分別問題というよりもシングルマザー問題です。昔の彼氏との関係や子供への接し方などについて描かれてます。もちろんゴミ分別問題は解決しません。
老人の特殊能力によってテンポ良く話が進みます。高橋留美子劇場シリーズの中でも佳作以上に分類できる作品だと思います。
「だらしないぞ、夏川さん!!」には私も大いに同感です。
たぶん明日には報道されると思いますが、警視庁に「3月1日に猟銃とナイフを持って相模原市内の高校を襲撃する」との予告がありまして、市内の高校のいくつかでは明日は臨時休校になります。卒業式を愉しみにしていた生徒さんたちには気の毒なことです。
昨今の高校について私が知る範囲で推察するに、この脅迫は愉快犯であり実際に襲撃される可能性は非常に低いです。「卒業式を開催したことで低い確率で被る損害」よりも「卒業式を開催しないことで(あるいは延期したことで)確実に被る損害」の方が大きいです。だから、総合的に考えるのであればここはリスクテイクすべきだと思います。
しかるに、教育機関がすぐに「開催しない」を選ぶのは、開催したことで発生した損害についての責任追求は教育機関に向かいますが、開催しないことで発生した損害についての責任追求は教育機関に向けられないからではないでしょうか(教育機関は「万が一を考えて開催をとりやめた。責任は全て犯人にある」と言い逃れできます)。
損害の期待値を最小にするには、リスクを適切に見積もることと、損害に応じて責任を適切に追及することが必要だと思います。
今週の少年サンデーに『犬夜叉』特別編(高橋留美子)が掲載されました。最終回の後日談です。主なキャラクター勢揃いの典型的なサービス回(34p)です。でも、キャラクターたちは良い意味であまり変わってないと思いました。マンガというメディアは真の意味でイモータルであると実感します。
一方で、モータルたるファンの側はどんどん成長し変化していきます。やがて作品の内容などすっかり忘れてしまうのでしょうが、作品を好きだったという思い出だけは忘れないで欲しいです。
マンガやアニメのファンが反対活動に利用されてるように思います。それは、児童ポルノで利益を得ている人たちが「二次元も一緒としちゃって極例を示せば、オタクたちが盾になって三次元規制に反対してくれるんじゃね?」と工作しているようなものかと。
知的財産権の趣旨は、創作者の利益を保護することで文化活動の発展を促すというものです。そのロジックで言うなら、著作者の許諾なく結末をばらすことは文化活動の発展を阻害する行為にあたります。
しかし、詰まらない作品を視聴して時間を無駄に費やすことは、別の意味で文化活動の発展を阻害します。何度でも視聴する価値がある作品とは、すなわち結末を知っていても視聴する価値がある作品です。そのロジックで言うなら、ネタバレは文化活動の発展を阻害しないということになります。
私が最初に使ったテープレコーダーはソニーのカセットコーダー『TC-1100(黒)』(発売は1975年頃?)でした。ラジカセに買い換えた後もしばらくは屋外や寝床で使ってました。新書版よりやや大きいサイズで、当時としてはかなり小さい機械でした。アナログな針メーターもついていてとても良いデザインだったと今でも思ってます。その後もいくつかの機種を買い換えながら使ってました。< ちなみに、最初に使ったCDウォークマンは同じくソニーの『ディスクマン(D-50mk2)』でした。これで『うる星』サントラを聴いてました。
報道によれば「ソニーはテープレコーダーの国内出荷を2013年1月までに終了する」とのことです。過去の膨大な資産も物理的な寿命をとっくに迎えてるだろうので、むしろ今まで再生機器を供給してくれてたことに感謝したいです。
初めて自分のおこづかいで買ったCDは『シンフォニー うる星やつら ー回想ー』(1986年)です。ディスクマン(CDウォークマン)と一緒に買いました。ジャケット画の現物がうちにあります。
それまでは、LPレコードをカセットテープに録音し、それをオートリバースで聴いてました。それほど良い再生機器を持っていなかったこともあり、初めてCDの音を聴いたときには感動を覚えました。また、半永久的に劣化することなく再生できると云われたCDは、十分にマニア心をくすぐるものでした。当時の私にとって定価3300円は安くありませんでしたが、十分に満足できる買い物でした。
ちょうどいい機会なので、“芸術の価格”について思うことを書いてみます。
本来の“芸術の価格”は、おそらく「誰かが自己表現として創作した芸術(創作には演奏など無形のものも含みます)で感動した人が、その感動の対価を創作者に提供した」という形だったと考えられます。当たり前のことですが、感動できない場合にまで“芸術の価格”を提供する必要はありませんでした。なぜならば、「感動の対価」は必ずしも「創作の報酬」ではないからです。
この観点で現代の音楽著作物商品を考えてみます。ビジネスとしては「いつでも何度でも聴けるメディア」を定価で販売する形です。これは供給側が価格を決める「創作の報酬」にあたります。
当たり前のことですが、何度でも再生できるメディアで音楽を流通させれば、いつか音楽は市場に飽和します(そこに残る需給は、世代交代による新規顧客や新規作品によるものばかりになります)。必然的に、消費者側が決める「感動の対価」はどんどん低くなります。無料サービス(動画配信サイトなど)があればそれを利用する人が増えるのは当然ですし、もし無料サービスがなくなったとしても既に所有している旧作を再び利用する人が増えるだけです。満足や感動を得る為には必ずしも新作である必要はないのですから。
人形の制作は、人類の普遍的かつ伝統的な文化活動の一つです。日本においても「人形には魂が宿る」とされており、人形を無碍に扱うことはタブーとされてます。
さて、オタク向けなフィギュアモデルもまた人形の一種であり、ゴミとして処分することに文化的な抵抗を抱く人が多いです。オタクグッズとしては値段がやや高めであることもあり、押し入れに保管されるか転売されることが多いように思います。
そのような状況の中で新作が生産され続けているので、世の中の在庫はどんどん増えていく計算になります。
先日に何軒かのオタク向けリサイクルショップに寄りました。欲しいのは高橋留美子作品関連の上物だけです。しかし残念なことに、いくら予算があろうとも在庫が1体もなければどうしょうもありません(苦笑)
でも、世の中のあちこちの押し入れにたくさんのラムちゃんフィギュアが保管されているはずだと思ってます。
エロティックホラーな球体関節人形は好きですが、アレは所有したくないなぁ。写真集や展覧会だけで十分です(苦笑)
今日は何の日かと問われたら「最初のイベント(うる星やつらファンの集い)から30周年の日」と答えます。私の人生の分岐点の一つです。記憶&記録を参照するに、昨今のアニメイベントとはずいぶん違うものでした。
コミケ82の企業出展者用入場券(3日分)が手元にあるので、気が向いたら行こうと思ってます(西4階の企業931「秋葉原:武器屋」あたり)。久しぶりと言うことで、高橋留美子系サークルがどれだけあるか興味あります。
それにしても、コミケ82かあ。最初にスタッフやったのが29(@晴海)だから、あれから二十数年が経ったことになります。イベントの性格もすっかり別物になったような気がしますが、基本的に良い方向に発展していると思ってます。
書庫と倉庫を整理してたら、大きな封筒に入った少年サンデー(1980年31号)を見つけました。私が『うる星やつら』ファンになったきっかけの「七夕デート」の話が掲載されてるサンデーです。もちろん現物ではなく、社会人になったときに神保町の専門店で買い直したものです。厚みは23mmほどで定価は170円です。
読み返してみると、今のサンデーとは明らかに方向性が違います。垢抜けてない作品ばかりですが、勢いがあって面白いです(懐かしさ補正あり)。次にマンガ喫茶に行ったときにでも、それらの作品を改めて読み返してみようと思います。
学生の頃によく考えていたことの一つが「趣味を共通する人たちによる仮想的な局所社会」でした。今でこそ「クラスタ」という社会学用語がありますが、当時は別の大学に通う社会学専攻の友人らと一緒に「機能集団ともゲゼルシャフトとも特性が異なるこの集団をどのように解釈したらいいか?」を一生懸命に考えてました。「もしかしたら新しい社会学になるんじゃないか」と冗談で言ってたものですが、後から考えるとやはり新しい概念だったみたいです(当時はそんなこと素人に分かる由もありません)。
最初は単一の共通項しかなくてもやがて複数の共通項を持つようになれば、最初の共通項が失われても人間関係は維持されます。さもなければ、最初の共通項から一方あるいは双方が引退したらそこで関係は途切れてしまいます(例えば学校という共通項だけの級友とは卒業後に交流が途絶えがちでしょ?)。
そしてネット(その延長たるオフ会を含む)を通じた付き合いは、なかなか他の共通項を作りにくいです。SNSの長所の一つは「自分の意外な一面を友人に見せつけることができる」だと思います。「一部の友人まで公開」ばかりではもったいないと思います。
一番くじのラストワン賞は「満願丸」のようなものだと思います(ちなみに、岩に刺さっている聖刀「満貫丸」を抜けるのは100万人目の挑戦者です)。アイデアを考えた人はたくさんいたかも知れませんが、商品化した人はすごいと思います。もしかしたらエクスカリバーも一定人数のチャレンジで抜けたのかも知れません。
一般に、社会が著作権を認める理由は「創作の対価を間接的に保証することで、社会全体の利益(技術や文化の発展など)とする為」です。だから、技術や文化の発展を阻害するような主張は、公共の福祉に反する濫用にあたるとすべきでしょう(これには、経済的な損失もないのに違法性を主張することや、著作者の死後にいつまでも著作権が消滅しないことが含まれます)。< 実際に各国の著作権法では、どのような利用が合法であるかが明示されてます。
著作物が利用(複製や出版や送信可能化や受信などを含む)されることによる金銭的な問題について、著作権者は「販売数減少による直接的な損失」と「宣伝効果による間接的な利益」を考えなければなりません。だから、著作権法は原則として親告罪(権利者が主張しない限りその利用は違法にはならない)とすべきであり、権利者には「いつでも黙認する権利」も認められるべきでしょう。< よって、合法であると明示されていない利用について、著作権者の意向を無視して第三者が勝手に違法であると決めつけてはなりません(もちろん著作権者に通知することはできますし、著作者にはそのときに意思を明示する義務を課すべきでしょう)。
おおよそ上記のコンセプトで著作権法をデザインするのが良いと思ってます。この観点で現行の著作権法を眺めてみると、実に歪んだものに見えます(苦笑)
「贈収賄や売買春は双方が罰せられるべき」と考えているので、違法DL(ダウンロード)の罰則化については消極的賛成の立場です。ただし、違法の範囲をもっと厳密に定義する必要があります。少なくとも能動的なDLであることと違法性の認識が必要です。また、他人の著作物が偶然にDLされた場合などは、違法性を明確に阻却すべきでしょう。
そして、違法か否かの判断対象は「所持」ではなく「行為」に限定すべきです。さもないと、違法でなかった時期に利用したものについて遡及して違法とすることができてしまいます。
「違法ダウンロードが罰則化されると誰が利益を得るのか?」については主に著作権管理団体だと認識しています。おそらく彼らは、違法利用がなくなったからと言って必ずしも利用者みんなが購入してくれるわけではないこと(消費税率を上げたら税収が減ることもありえるのと同様です)もちゃんと認識しているでしょう。著作権者の利益よりも管理団体の利益の方が優先されるとしばしばパラドキシカルなことが発生するのです。
一方、「違法なダウンロードが罰則化されないと誰が利益を得るのか?」についてはわざわざ書くまでもないでしょう。
法律改正について極論を持ち出して「こんなことで逮捕されます」という意見をときおり見掛けます。しかし、明らかに合法であることや明らかに違法性が阻却されることについてまで「違法になった。逮捕される!」と騒ぎ立てていては説得力に欠けましょう。反対するのであれば、どのような理由で何について反対しているのかを明示した方がいいと思います。
賛成するにせよ反対するにせよ、他人の受け売りではなく自分で考えて主張するのが大事だと思います。危機感の煽り立ては連鎖しやすいので、ときどき立ち止まって「改正されたら誰が利益を得るか。改正されなければ誰が利益を得るか。自分は誰かに煽られて誰かを煽っているのではないか?」と考えて欲しいです。
先日から暇な時間を利用して、アニメ『うる星やつら』原画をスキャナーでちまちまと取り込んでます。収集品は数百枚ほどありますが、とても愉しいのでバイトに頼みたくもありません(笑)
残念ながら、私が所有しているスキャナーでは大判サイズのものは取り込みできません。「この為だけにA3サイズの大型スキャナーが欲しいなぁ」と考えてます。< 以前にも検討したことがあるのですが、当時のA3スキャナーの値段はあまりに高く…(涙)
で、現在の相場を調べてみるとほとんど6桁のものばかりです(10万円以下はわずか3機種)。そんな中で、なぜか『CFBS-A3』(センチュリー)というのだけが3万円以下でありました(この用途に限定するので性能は十分かも?)。高い機種でも中古で数万円のものがいくつかヤフオクに出品されてます。レビューなど見てから改めて検討しようと思います。
高橋留美子作品関連のグッズは山のようにあるので、次の虫干しのときにでも開封して撮影しておこうと思ってます(但し、呪われたアイテムを除く)。
残念なことにカセットテーブやビデオテーブはもうデータがダメになってるはずです。さらに古いCDやLDは一部が剥離しています。もっとも、既にデジタル化されてるのであまり問題ないのですが(苦笑)。< いつでもどの話でも手軽に視聴できるとは実に便利な世の中になったものです。
愉し♪
呪いのワラ人形の話が良い。
二十数年前にも云ってたことですが…。即売会のサークル参加の目的は以下の4パターンに大別できると思う。「私の表現をみんなに見てもらいたい」「お金を稼ぐ為に作りました」「ブース確保する為に作りました」「早く入場する為にダミーサークルを作りました」。1番目を名目にした3番目はけっこう多かったり。(
4月13日(金)は「はっぴいバースデーマイダーリン」(1983年)の日です。『うる星やつら』の中でも名作と呼ばれる話の一つですが、単体で観てもたいして面白くないでしょう。喩えるなら、日の丸弁当における梅干しのような作品です。#1,#2,#3。
今年の高橋留美子劇場は『やましい出来事』です。本日発売のビッグコミックオリジナル第6号に掲載されてます。
小堺氏の息子(正樹)が連れてきた浦野カオル子は、1年前まで小堺氏が入れ揚げていたキャバ嬢(彩花)でした。彩花とは一緒に高級料亭「風雲亭」で食事したまでの関係ですが、小堺氏はその関係を妻や息子に知られまいとします。でもカオル子はあまり気にしていない様子。最終的には、「カオル子がキャバ嬢だったこと」は息子も既に知ってたことであり、「誰かと一緒に風雲亭に行ったこと」は妻にバレることとなります。でも、肝心の部分は微妙にずれて秘密のまま収まります。
ネタバレになるのでここで詳細は書きませんが、収束するまでの過程が面白いです。偶然の再会に右往左往する小堺氏の姿を見るに、「そもそも結婚してるなら他の女に入れ揚げるべきではない。偶然かつ善意ですらこんなパニックになるんだからさ…(笑)」と思いました。小堺夫妻も正樹&カオル子もどうかお幸せに。
同誌の広告によれば、高橋留美子劇場が7月に「NHK-BSプレミアム」でTVドラマ化されるとのことです。日時もキャストもまだ公表されていませんが愉しみにしています。
先週17日(金)に『境界のRINNE』11巻(高橋留美子)が発売されました。第4話「雨の中の子犬」と第10話「さまようスイカ」が特に良いです。いずれも高橋留美子劇場テイストを愉しめます。
毎年のようにこういうコラポが企画されるということは…そして若い世代にも作品が周知されているということは…『うる星』はもはや日本文化の一部になっているということだ。うん。
アニメ『うる星』『めぞん』『らんま』『犬夜叉』がフルセットで手元にあります。これらを毎日1時間ずつ視聴したとしても、全てを観るには1年以上を要します(実際にはもっと掛かるでしょう)。私の残り寿命で全話視聴できる回数には限界があると改めて認識しました。
冬の雨ということで、一年ぶりに『うる星やつら3 RML』(1985年)を観ました。27年前の作品ですが今でも十分に愉しめます。以前よりは、より強くルウの視点で物語を眺めるようになりました。ルウはこの出来事でたくさんのことを学べたであろうと思います。
『RML』のBGMは秀逸です。当時はLPレコードからメタルテープにダビングして何度も何度も聞いてました。しばらくしてCDに買い換えたけどね(もちろん現在はMP3に変換して聞いてます)。
出演する役者さんのファンの間ではけっこう前評判が高く、高橋留美子作品ファンの間ではあまり前評判はよくありませんでした。私としては、アニメとは別物の二次創作として楽しめればいいと思ってます。
リアルタイムで観ましたが、けっこう頑張って原作らしさを出しているように思いました。「許婚」の台詞をあかねに言わせたのが面白いです。細かいとこはともかく、このドラマをアニメ化できないものか?(笑)
押井守監督が「僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで『表現』の体をなしていない」と発言したそうですが、その解釈は間違ってないと思います。そして、「ある年の教科書は基本的に前年度の教科書のコピーである」と同様に、そのコピーは消費財として十分な需要があると考えます。
ん?駅伝中継で『フォーゼ』ないのか…。かつて野球中継で『うる星』がしばしば放映延期となってたときには、プロ野球が嫌いでした。ライダーの熱烈なるファンたちも同じような気持ちになんだろうか?(
実用派と保管派とのスタンスの違いによる言い争いは、歴史資料や美術品などさまざまな世界においてしばしば見られます。その構図はしばしば、「使った(費やした)」と言う実用派に対して保管派が「使うな(費やすな)」と言う形になります。
原則として、保管すべき価値があるか否かはそれぞれの価値観によります。
トラブルを避ける為に実用派にできることは、保管派の目につくところで「費やした」と公言しないことです。さもなければ、使ったことそのものだけでなく資料に対する無理解までも責められます。
保管派にできることは、研究者なら研究成果を示してその価値を説明すること(もし納得してくれれば自主的に保管してくれるかも知れない。文化財指定ならなおさら!)で、蒐集家ならそれを譲り受けて自分達で保管することです。いずれにせよ、「それは私たち保管派にとって高い価値がある資料だから、あなたたち実用派はそれを使わずに保管して下さい」と言うだけでは筋が通りません。
高橋留美子作品については「実用(自分用と布教用)と保存用」と3冊セットで購入してますが何か? < そんじょそこらの蒐集家のよりもずっと上等なコレクションであることは自認してます。
ボードゲームについては基本的に実用派です。絶版品などの価値はそれなりに知ってますが、プレイできることをずっと優先しています。もちろん蒐集家には売るよ?
ついでに言えば、日本刀(分類は美術品)はひそかに実用したいけど結果的に保管した状態(笑)
『らんま1/2』(高橋留美子)びドラマ化については賛否両論があります。つぶやきでも書きましたが、原作やアニメのファンはおおむけ否定的であり、役者さんのファンはおおむね肯定的です。
余談ですが、「韓国でドラマ化される」よりはずっとマシです。もしそのようなことになったら、らんまは三段変身(男・女・パンダ)するようになってしまいます(参考動画)。それは最大的悲劇です。
キミはすっかりケータイ依存症だね。察するに、繋がってないと途切れてしまうことが不安なんだね。「いつでも繋がる」という安心感が欲しいのは理解できるよ。
でも、かつてネットもケータイもない世界があったことは覚えておいて欲しい。その世界では「いつかきっと繋がる」という希望を持ってみんな生きてたよ。友達や恋愛の形も今とは違ってた(参考文献『めぞん一刻』)。もし興味があるなら、キミの両親にどんな恋愛してたか聞いてごらん?
チャットルームにおける会話は「大部屋の中の各テーブルでそれぞれが話している」というよりも「ひとつの大テーブルをみんなで囲んで話している」というイメージです。だから、誰が誰の会話に割り込んでも構わないと思ってます。そのため、自明な宛先付けは無用だと思ってます。
うる星やつらイベント。とてもとても熱かった日。僕たちは武道館にいた。
あのときに「10年後も20年後も付き合いが続けばいいね」と言っていた。
感謝。そして乾杯。
高橋留美子傑作集「運命の鳥」が発売されました。「Pの悲劇」「専務の犬」「赤い花束」に続く第4集です(ちなみに短編集「1orW」は別シリーズです)。このシリーズは「ビッグコミックオリジナル」に掲載された高橋留美子劇場シリーズが収録されてます。
ほとんどが家族関係や近所付き合いをテーマにしており、高橋留美子作品としては社会に対するメッセージ性が強いものとなっています。
さて傑作集「運命の鳥」ですが、以下の作品が収録されてます。
いずれも面白いのですが、中でも『運命の鳥』はなかなか良い作品だと思います。最後にテレビに映った五木ひろみには赤い鳥が憑いているだろうと思いますが、そこをうまくぼかすことでマスターが安堵する演出は気に入りました。また、自分の力をみんなの為に使う理由が自分が後悔しない為であることに共感を覚えます。
2008年のセブンイレブン一番くじ『うる星やつら』の賞品の一つです。保存用に1脚だけあればいいので、残りの2脚は飾り台として用いてます。
たまたま帰り際にリサイクルショップで未使用品を見かけたので即座に買い足しました。ゲーム専用キャリーカートの中に入れておけば、カードゲーム用テーブルになるかも?
子犬の話。夫婦喧嘩でもアメフラシでもありません(笑)。「犬は3日飼えば恩を忘れず」と云います。幸せで良かったね。> ベロ
ヒロインである真宮桜の着替えシーンと入浴シーンが描かれています。どっちがエロいかはともかく、なぜに自室で脱ぐのだろう?
私は「ネット(HNを通じた交流の場であるオフ会などを含む)は別世界ではなく、私たちがリアルに住んでいるこの世界の一部である」と考えてます。
SNSについても「SNSの存在意義はリアル(ネットを含む)での人間関係をネットでマッピングしたもの」とも思ってます。だから、SNS上だけの人間関係は、あくまでいつかリアル(SNS外のネットを含む)で交流するに至るまでの一時的な状態であると捉えてます。< もっとも、そこに至るまでの期間は数年以上に及ぶかも知れませんし、そこに至る前に自然消滅することもしばしばです。
そのように考えているので、ネットである程度に見知った相手にはネット以外での連絡先も公開しています。
でも、ネットは別世界だと考えている人たちは、オフ会で会って仲良くなってネット以外で交流するようになってもなかなか本名や住所などを公開しないみたいです。推測するに、彼らは必ずしも「ネットだけの付き合い」であり続けたいわけではなく単にネットにおけるプライバシー基準をネット以外にまで適用し続けているだけのようです。
もっとも、彼らから見れば私は「リアルでのセキュリティ基準をネット(オフ会などを含む)にまで適用し続けている」となるのでしょうが(苦笑)
携帯電話やPDAなどが普及する以前は、アドレス帳(物理)にみんなの電話番号を書き込んでました。親しい人たちの電話番号はしっかり憶えてました。
でも今やすっかりアドレス帳(電子)に任せっきりでほとんど電話番号を憶えることもありません。住所やメアドや誕生日なども昔ほどにちゃんとは憶えていません。ついでに言うと、顔もあまり憶えきれてません。昔なら顔写真を使ってひそかに憶えてたのですが、昨今はなかなかそうもいきませぬ。
なお、バックアップ(電子データおよび印刷物)はこまめに更新してるので、データ消失はあまり心配してません。
さすがに個体識別子である本名あるいはそれに準ずる長期固定HNなどはしっかり憶えてます。しかも音信不通から十年以上経ってもたいてい憶えてるので、再会に成功する可能性はそれなりに高いつもりです。
ハンドルネームは、知り合いを増やすのに有用だけど、それを超えて仲良くなろうとするときには壁にもなります。もともとハンドルネームを通じて知り合わなければ…そもそもネット以外の場で最初に出会っていれば…と考えることがあります。
ネット以外の連絡手段をあらためて多重化しようと思ってます。電話(ダイヤル発信)と手紙はもっと活用していきたいです。さすがに二十年前のような手紙魔にはなりませんが(苦笑)
表情の造形の話は別にして…。このポーズからの電撃はたいてい空中からのものです。よって、膝を折りまげてもっとエビ反りさせたポーズにすべき。
そろそろ発売して欲しいなあ。我に大人買いの用意あり。
東京MXでアニメ『らんま1/2』(高橋留美子)の再放送が始まりました。もちろん第1話からの放送です。< もっとも、私が第1話を見るのはだいたい1ヶ月ぶりかな。ちなみに、最初に第1話を見たのは1989年春の先行上映だったりします。
最初の放送から20年以上が経ちましたが、いまや世界中で視聴されています(昨年のジャポンエキスポでもいまだ人気絶頂だったそうな)。ファンの贔屓目もありますが、そのクオリティは現在のアニメ諸作品と比べてもまったく引けをとっていません。
それにしても、この露出の多い作品をよくぞゴールデンタイムに放送できたものです(笑) < でも、その放送は別の理由(某誘拐事件の影響とされています)でいったん打ち切られてしまいます。既に制作されていた格闘フィギュアスケート編は放送されませんでした。しばらくして、夕方に『熱闘編』として再開され、ようやく「格闘フィギュアスケート」も放映されます。
私にとってはちっとも懐かしい作品ではありませんが、多くの人と『らんま』について語り合えることを愉しみにしています。
例外もありますが、基本的に著作権法違反は親告罪です。だから、著作権者が著作物利用(複製など)を禁止ないし制限している場合には、第三者も「その著作物を勝手に利用すべきではない!」と主張できましょう。逆に著作権者が許諾している場合(しばしば営業戦略的に黙認という形式が採用されます)には、第三者が「その著作物を勝手に利用するな!」と勝手に禁ずることはできません。著作権者が許諾も制限も明示していない場合には、第三者は著作権者に通知することができます。利用の事実を知った上で著作権者がどうするかは著作権者が決めることです。
法令で明らかに認められている場合は別にして、著作物を利用するときは著作権者に通知してから利用するのが筋だと思います。利用の事実を知った上で著作権者が黙認することもしばしばですが。
ハンドルは識別用IDで、ハンドルネームは同じ文字列を用いた名前です。だから、ハンドルには敬称をつけるべきではないが、ハンドルネームには敬称をつけるのが望ましいと考えてます。
余談ですが、コミュ管理人を「管理人さん」と呼ぶことについて私は例外的な考えを持っています。私にとって「管理人さん」とは音無響子(『めぞん一刻』(高橋留美子/小学館))です。
『境界のRINNE(6巻)』(高橋留美子/小学館)が発売されました。第49話「聖石の呪い」から第58話「裁きの輪」まで掲載されてます。
『境界のRINNE』は女性レギュラーが必要最小限しかおりません。作品解説などを見ても分かるように、あえて非ラブコメを志向した作品になってます。
女性レギュラーが少ない代わりに女性ゲストは豊富です。女性ゲストはそれぞれの属性を持つ一般人ですが、キャラデザ的にはレギュラーであってもおかしくないレベルばかりです。
第6巻では、優木ナオミ(生徒会長)の伯母で故人のラン子(昭和不良)が、なかなかユニークだと思います。
アニメ化はまだまだ先でしょうが、のんびり待ちたいと思ってます。私にとって1年や2年などは既に誤差の範囲です。
文章を簡略化するために、「刑罰法規に触れるあるいは婚姻を禁止されている近親者間における性交もしくは性交類似行為が不当に賛美し又は誇張するように描写された作品」を鉤括弧付で【作品】と表記します。
この日記の主張は「議論の当事者にならなければ納得できないのは当たり前」です。これを「改正青少年健全育成条例」問題に適用してみます。
ある町で大手チェーンが激安販売を仕掛けたので、地元の商店は経営危機に陥りました。住民たちは大手チェーンを批判し、政治家は大手チェーンに激安販売をやめるように指導しました。そして、激安商品を入手できなくなった住民たちは政治家を批判し始めました。
この問題の最善解はおそらく「ほどほどの値段で共存する」です。そして、共存を図ると共倒れになる場合や利害調整できなかった場合には「いずれか片方を犠牲にする」が選択可能な最善解になります。
誰もが妥協できる解が常に存在するとは限りませんが、その解を求めようとしないのは悲劇的です。だからこそ、双方は自分の意見を公開するだけでなく相手に通知したり、相手の意見を理解(not支持)することが必要になります。いきなり第三者に仲裁を任せるといつまでもたっても納得も妥協もできず結果的に共存の道が閉ざされがちです。
このロジックを昨日の「規制範囲を明確にすべき」に適用すると以下の構図が見えてきます。
双方とも「そうは見えないらしい」な状態の人が多いです。自分の意見を主張するだけで相手の意見を理解(not支持)しなければ、いつまでたっても納得できる利害調整はできません。規制賛成者は恣意的運用による影響がどのようなものかを理解すべきだし、規制反対者は現場での影響がどのようなものか理解すべきです。
たしかに、プラス面もマイナス面もいずれも数値的に立証できるものではないので、相手に納得させるのは困難でしょう。それでも、この努力をすることで対立構造を緩和しより具体的な基準を作成することに近づけます。方法の違いはあれど、私たちの住むこの社会を少しでも良いものにするために相互理解が大切です。
先に書いておきますが、私は「頒布規制の目的は支持するが、明確な基準なき頒布規制には反対」の立場です。
さて、いかなる自由も公共の福祉に著しく反するのであれば権利として認めるべきではありません。だから「創作物に関する諸行為のどれがどれだけ公共の福祉に反するかあるいは反しないか」を具体的に考えなければなりません。
実写と異なりマンガ&アニメにおいては撮影対象となる青少年は実在しません(ただしモデルが実在する場合は実写に準ずるものとして考えます)。すなわち創作段階においては公共の福祉に反するとは言えませんので、公共の福祉を理由として表現の自由を制限するのは不当でしょう。「改正青少年健全育成条例」が創作そのものを禁じてないのは正当だと思います。
頒布段階においては実写であろうとマンガ&アニメであろうと同じタイプの影響を及ぼします(実写の影響力の方がより大きいです)。この影響には「ガス抜きによって違法な性行為が減少するプラス面」と「偏った知識によって違法な性行為が増加するマイナス面」があります。このマイナス面は有意に大きいので、適切な頒布規制は正当だと思います。 < ついでに言えば、同様にプラス面も有意に大きいです。
青少年への頒布にはプラス面だけでなくマイナス面もあるのですから、利害調整によって規制範囲を具体的に定める必要があります(余談だけど、実写はより厳しく定めるべき)。もしも規制範囲を具体的に定められなければ、ザル法となるかあるいは過剰規制になるだけでなく将来の恣意的な運用を招きかねません。 < ちなみに、具体的基準はやや緩めに作成する必要があります。なぜならば、将来にこの基準を適正に緩めるのはあまりに困難だからです(要するに、ガス抜き効果を立証するのはあまりに困難だからです)。
この「青少年健全育成条例改正案」の賛成派は、現場の保護者や教育者だけではありません(もちろん彼らの中には彼らの利権のために賛成している人たちもいるでしょう。都知事さんはまた別の理由だろうけど)。彼らは「オタク」レッテルを利用して主権者や政治家に頒布規制をアピールしています。具体的なマイナス面しか想像できない主権者も少なからずいるでしょう。
一方、反対派は直接に経済的不利益を被るマンガ出版業界です。そして、出版業界が「改正案は頒布の規制ではなく表現の規制だ」と誇張して創作者らを煽る構図になってます。< だから創作者たちは実際の改正案の条文を読んで自分で判断しなければなりません。もちろん、読んだ上で頒布規制に反対するのは正当なことだと思いますし、具体的基準を定めて頒布規制に賛成するのも正当なことだと思います。
なお、賛成派も反対派も具体的基準を作成することには消極的でした。双方とも過剰に危機感を煽ることでそれぞれの支持者を得ていたからです。結果的にザル法あるいは過剰規制のリスクだけでなく将来の恣意的運用を招きかねなくなったことは、すべての国民が覚悟しておくべきでしょう。
人間関係は、血縁や地域や学校や職場や趣味などさまざまな共通項があります。物理的な場の有無に関わらずそれらはある種の局所社会を構成しています。
単一の共通項でしかつながってない人間関係を「仲間関係」と私は呼んでます。その共通項(例えば趣味のサークル)から引退したらそこで縁が切れてしまうような関係です。卒業したらもう二度と会いそうにないクラスメートは仲間関係だと言えます。仲間関係は共通項の種類こそバラエティに富むものの基本的にシンプルな関係です。
そして、複数の独立した共通項で繋がっている人間関係を「友人関係」と呼んでます。友人関係とは、一つの共通項から引退しても人間関係がいきなり消滅しない関係のことだと思えば分かりやすいでしょう。卒業しても付き合いが継続しそうなクラスメートは友人関係だと言えます。友人関係は共通項の組み合わせによって非常に複雑なものとなります。組み合わせがユニークである友人関係もしばしばあります。
例えば『うる星』だけで繋がっている人間関係は『うる星』仲間ですし、『うる星』と『めぞん』とで繋がっている関係は友人関係ではなくルーミック仲間です。< さすがに古くからのそっちの関係者はとっくにルーミックから引退している人ばかりですが、お茶会など機会があればいつでも気軽に再会できますので友人関係にあたると思ってます。
ゲームサークル「バンガード」だけで繋がっている人はバンガード仲間ですし、「バンガード」と「袋小路」とで繋がっている人間関係は、友人関係ではなくボードゲーム仲間です。
地域社会だけで繋がっている人は地域仲間です。相模原市と神奈川県とで繋がっていても友人関係ではなく仲間関係です。いずれかが県外に引っ越しすれば人間関係は消滅しえます。消滅しない人たちは地域以外の共通項があるとみなせます。
相思相愛という関係は2人から構成される局所社会です。たいていは他の共通項もあるので友人関係でもあります。もしも他の共通項が恋愛を維持するための従属したものであれば、破局したら関係は消滅します。でも、その他の共通項が恋愛維持の為ではない独立したものであれば、人間関係は維持できます(もっとも気まずさが残るけどね)。
mixiだけで繋がっている関係はmixi仲間です。< ちなみに、mixiを退会しても人間関係が残るマイミクさんたちを仲良し設定しています。
私は、仲間関係よりも友人関係を重視しています。そして、どのような共通項の仲間関係であれ「人間として互いに尊敬できること」はたいてい新たな共通項になると思ってます。だから、自分の考え方や意見は積極的に示してますし、相手のさまざまな長所を見いだすように心がけています。こうすることで、例えば趣味から引退しても人間関係は維持できます。
現実的には時間的・金銭的・距離的などの制約もありますが、あわてず人間関係を紡ぎ発展させていきたいです。どうぞよろしくお願いいたします。
リサイクル店で『立喰師列伝』サントラCDを見かけ、1秒も迷わずに買いました。いつかマッハ軒で食い逃げしたいです。
本日発売のスピリッツに掲載された『星は千の顔』は、泥酔した寒月プロデューサーによるセクハラが怖くて逃げた女優・星野カナの深夜ドラマです(少し違います)。テーマは「巨乳最高っす」です(違います)。主な登場人物は、巫女、めがね女学生、シスター、お嬢様、女王様、ナース、ネコミミメイド、怪盗、バニー、そしてソルジャーピンクです(とても違います)。
作品としては32ページと小粒ですが、軽く読むことが出来ます。刑事たちが追っていた殺人犯がまともに話に絡んでたらもっと良かったように思います。
鳳が登場してラブコメっぽくなりかけた巻。でも、ヒロインの真宮桜がクール系なので、あいかわらずコメディ色が濃いです。
なお、本田フミカのキャラデザは近年の高橋留美子作品の中でも特に秀逸だと思います。もしヒロインがこのキャラデザだったら歴史は変わっていたかも知れません。
14日(土)は「うっちゃんオフ@水道橋」(11人)に参加してました。お疲れ様でしたー!
暑い中や寒い中を並ぶのが苦手なのであいかわらずコミケ不参加です(と言うか、まともに一般列に並んだこと1回もないのです)。< ごくまれに、午後にこっそりお邪魔して留美子系を一巡し、混雑する前に帰ることはあったけどね。
私がコミケと縁があった頃と比べれば、コミケもずいぶんと変わりました(スタッフ数も当時の10倍以上いるらしい?)。大なり小なりの問題はありましょうが、全体としては良い方向に発展しているように思います。
世の中には「何らかの理由で比喩や行間を察することができない人たち」がいます。彼らは言葉を言葉通りに解釈する傾向がありますが、そのことでしばしば周囲とトラブルを発生させます。
トラブルの構造について、プロトコルの観点で考えてみました。
世の中には少なくとも2種類のプロトコルがあります。
前者は後者を内包するので、「前者にとって後者は、間違ったことではないが迷惑なこと」であり「後者にとって前者は、間違ったことであり迷惑なこと」となります。必然的にトラブルの大多数は、後者が前者の“間違い”を質してあげるケースになります。
このような事例が積み重なると、後者は前者から敬遠されるので被害妄想を抱きやすくなります(当人は「質すのは正当な行為だから、敬遠は不当な行為だ」と認識してるみたい?)。さらに、あらゆることについて「自分が間違っているのではなく周囲が間違っている」とますます信じ込みやすくなります(なんせ当人にとってはいつもいつも周囲の人たちが間違っているのですから)。
また、当人は敬遠される理由を実感していないので、自分の居場所を確保するための処世術として過剰なまでの献身的態度を取ることもあるみたいです。
私のスタンスは「悪気がないことは理解している」「信用してないのに利用するのは私の美学に反するので、過剰な献身的態度はほどほどに遠慮する」「交流方式はできるだけ合わせるけど、思い込みで周囲を攻撃してきたなら敬遠あるいは遮断する」「同じタイプの人たちと巡り会えるといいね。がんばって!」です。
私はラム(高橋留美子『うる星やつら』)が好きです。
でも、「ラムちゃんは俺のヨメ」のような好きではないし、カップリングを応援するものでもないし、そもそも恋愛対象でもありません。「萌える」でも「恋する」でも「憧れる」でも「慕う」でも「愛でる」でもなく単純に「好き」です。ラムのイメージではなくラムそのものが好きです。たぶん私は、ラムという登場人物を、ただ『うる星』ワールドの重要な構成要素として好いてます。だから長続きしているのかも知れません。
「七夕デート」から30年が経ちました。たくさんの人に感謝しています。
『犬夜叉』キャラの中では特に桔梗が好きです。
桔梗&かごめのフィギュアを頂きました。正式名称は『Dream Prize Project るーみっくわーるど×海洋堂 ボトルオンフィギュアコレクション by BOME Vol.2 犬夜叉 全2種(かごめ・桔梗)』です。サイズは17cmぐらい。造形はまあまあかな。
ちょうど飾る場所ができたとこなので、しばらく飾っておきます。ミニチュアの長弓と短弓を持たせてみようかな、と考えてます。
最近のBGMはずっと『デジタル・ミステリー・ツアー』です。
このアルバムは『うる星やつら』BGM集でもあります。雪ダルマの話などで使われてます。私事になりますが、二十数年前にかなり苦労してこのLPレコードを探し求めました。そんな思い出補正もあり、このアルバムは私にとっては特別な一枚です。
おおよそ、そんなあたりじゃないかなっ
今日の午後は「つあーすたっふ」のリーダーと食事など。うる星ファンクラブの時代からの付き合いが今でも続いています。ネットとは実に便利な道具だと実感できます。ずっと音信普通だった人の情報も頂きました。もしかしたら再会できるかも知れません。
『うる星やつら』動画(厚さ6cmほど)や『らんま1/2』セル画(25枚)を受け取りました。これらの中では「格闘茶道の冒頭シーンの天道あかね」(縦70cm)が特にお気に入りです(なんだかんだで今でも、どのシーンがどの話だかおおよそ分かります)。なお、『うる星』動画は未整理です。とりあえず、かえでちゃんや北斗くんなどは混ざってるみたいです。
朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや(『論語・学而』より)
遊びで使うために超高輝度サイリューム「ウルトラオレンジ」5本を買ってきました。1本あたり100円です。他の超高輝度タイプは持続時間15分であるのに対し、「ウルトラオレンジ」だけは5分です。試してみたところ、予想以上に明るかったです。
私の記憶が確かなら、ケミカルライト「サイリューム」が日本で売られ始めた頃にも持続時間30分の高輝度タイプがありました。カラーは黄色だけで、値段は他のカラーと同様に300円ぐらいでした。当時の声優イベント(『うる星』『めぞん』『らんま』など)においては「あまりに明るすぎて周囲のお客さんたちに迷惑が掛かる」として使用を自粛してました。
最近では超高輝度サイリューム「ウルトラオレンジ」も普通に観客席で使われているそうです。それが許容されるようになったのは、きっと良いことなのだろうと思います。
ついでに、非常持出袋の中のケミカルライトも入れ替えました。サイリュームトラップもちゃんと動作を確認しました。
ELライトセーバー「SW-201」の電気回路を全て外して魔改装しました。ポリカーボネイト製の刀身(約90cm)には、サイリューム15インチ2本(固定)と6インチ1本(分離可)を内蔵できます。柄の奥まで刀身を押し込んだ設計(ウレタングリップで固定)にしたので、激しい打ち合いにも耐えます。たぶん防水性も高いです。コンサート会場への持ち込みは…そもそも長物だからダメか?(苦笑)
先週、『うる星やつら オンリー・ユー』(1983年)を鑑賞しました。語りたいシーンはたくさんありますが、中でも「牛丼屋ならここにもあるみたいだぜ?」のシーンは爆笑物です。専用BGMである「M25」を、私のケータイのメール着信音に設定しているほど気に入ってます。
作中の牛丼屋のモデルは「吉野家」です。若い頃はよく食べたものですが、狂牛病騒動の頃からすっかり疎遠になりました(まったく食べてないわけでもないけどね)。
今日は、たまたま吉野家の前を通りがかりました。ちょうど諸星あたるの誕生日ということもあり、久しぶりに吉野家の牛丼(特価270円)を食べてみることにしたわけです。さすがに混んでました。
必ずしもすごく美味しいというわけではありませんでしが、店内の雰囲気は嫌いじゃないです。思い出に浸りながら、会計を済ませて店を後にしました。
今日もがんばろう。
『犬夜叉・完結編』が最終回でした。
ファンサイトの運営に携わっていることもあり、いろいろと感慨深いものがあります。他の高橋留美子作品にも同様ですが、『犬夜叉』を通じて多くの出会いがありました。彼らのうちの何人かとは一生ずっと友人として付き合っていくことになるだろうと思ってます。たとえ十数年後でも『犬夜叉』ネタで盛り上がれれば愉しいだろうなあ、と考えてます。
ともあれ、「お義兄さーん!」に笑いを禁じえず(笑) < この日記の主題
18日は『境界のRINNE』3巻の発売日です。掲載範囲は、十文字翼の登場から顔の無い女の話のあたりまで。
そろそろアニメ化の話が出て来て良さそうなものです。
11日(木)夜に関東地方で再放送開始です(http://www.mxtv.co.jp/lum/)。第1話は既に何十回と観てます。さすがに、まだ3ケタに達してはないと思います。
ビッグコミックオリジナル5号に『年甲斐もなく』(高橋留美子)が掲載されました。すっかり毎年恒例です。
人間関係の形は様々です。現実の中で誰もが幸せを求めて生きています。いろんな人生があっていいと思います。このシリーズのテーマはそんなとこにあるのだろうと思います。
『境界のRINNE』が2週連続で休載だと、ちと退屈です。休載中の少年サンデーは買わないから、雑誌連載中の他作品のストーリーが中断されてしまふ(苦笑) < そんなわけで、水曜か木曜にマンガ喫茶に行ってくるつもり。
私たちが住むこの社会は、様々な社会から構成されています。よって、所属している局所社会ごとに異なる人格(名前や顔や設定など)が使い分けられることもありえます。
この使い分けにはメリットもデメリットもあります。大きなメリットとして、共通項だけに交流を限定しやすいことやプライバシーを保護しやすいことがあります。そして、大きなデメリットとしては、共通項を超えた交流に発展しづらいことやトラブルの解決が難しくなることがあります。
同様に、使い分けないメリットとデメリットもあります。
もし双方が共通項を超えた交流に発展させたいと考えているのであれば、その局所社会に限定した人格だけを用い続けるのはあまり効率的ではありません。ある程度に仲良くなったなら、他の人格などの情報を開示していくのが大事だと思います。
逆に、共通項を超えた交流を拒絶したいのであれば、いつまでも情報開示しないことが大事になりましょう。
私は、この使い分けをあまりしておりません。なぜならば、「局所社会だけの交流に限定するつもりはない」と最初から表明しているからです。ある程度に仲良くなっても相手が情報開示しないのであれば、「この人はそういうつもりなんだな。了解です」と解釈するようにしています。
それにしても、みなさんいくつぐらいの名前を使い分けているものだろう?
『犬夜叉』ショップが期間限定で吉祥寺パルコにオープンします。空いた時間をうまく利用して見学してくるつもりです。なお、12月23日(祝)には山口勝平さんの握手会があるそうです。さすがに握手はもうどうでもいいですが、イベントは見学しておきたいと考えてます。
夕方に時間ができたので、雑誌整理してました。
だいたい2ヶ月ごとに整理するようにしてますが、えてして実行できないことも多いです。こういうのは、ときどき整理しておかないといつのまにか山積みになってしまいます。< しかも、整理し始めるといつのまにか読み耽るというリスクあり(苦笑)
ええ、たしかに読んでました。いまのいままで。はい。
言うまでもありませんが、『境界のRINNE』の為に週刊少年サンデー(小学館)を購読しています。でも、他のマンガをまったく読まないわけでもありません。現在のサンデー連載マンガについては以下の通りです。
少年サンデー以外のマンガ雑誌は、マガジン(ゴッ輝、ネギま、絶望)、ヤンマガ(Holic)、スーパージャンプ(仕立て屋)などを軽く立ち読みするぐらいです。
サークルKで買ってきました。残念なことに、全4種類のうち2種類しかありませんでした。明日にでも残り2種類を探してくるつもりです。
なお、私も「おいしいだっちゃ☆」 よりも「おいしいっちゃ☆」の方が良いと思います。
これらの絵柄は既に所有しているので、このカップを永久保存するつもりなどありません。記録したり話題にした後は処分するつもりです。
ならば「なぜ私がコラボ商品を購入してるのか?」と言うと…、『うる星』に興味を持つ人を増やしたり『うる星』の話題で愉しむために、また企業にコラボ商品を企画してもらいたいからです。ささやかながらそれに貢献しているつもりです。
絵柄をみて「これは何年モノのラムちゃんだね」と分かるのは、もしかしてちょっと凄いらしいです。< むしろ呆れられてます。
明日はサークルKかサンクスまで行ってきましょう。でも、うちのすぐ近所にはそれらのコンビニは見当たりません。
100年ぐらいのスパンで見れば、技術は進化しても人間はそれほど進化してません。人間の身体構造は100年前も100年後もほとんど変わらないだろうし、感覚器官についても同様です。
100年後のスプーンは、現在のスプーンと似ているに違いありません。100年後の算数の教科書の内容も、現在のレベルとそう変わらないでしょう。100年後のスポーツのルールも現在とそう変わらないでしょう。そして、100年後の鯖味噌も、現在の鯖味噌と似たようなものだろうと思います。
それでも、現在の鯖味噌は100年前の鯖味噌よりも美味しいのだろうと思います。レシピはリメイクされ続けるのです。だから、100年後の鯖味噌は、現在の鯖味噌よりも美味しくなっているだろうと想像しています。
さて、名作と呼ばれるモノ(小説やマンガやゲームや道具など)の中には、時代を超えても人々に受け入れられるモノもあるし、そうでないモノもあります。受け入れられる必要条件の一つは「時代によらない普遍的価値観にあう」だろうと思います。名作と呼ばれたモノをリメイクないし再販するときには、この観点が大事だと思います。
だから、名作だからという理由だけで無条件にリメイクするのは愚かだと思いますっ < 今日の主張(何かあったらしい?(苦笑)
『犬夜叉』の登場人物の中では特に桔梗が好きです。その桔梗も完結編第8話で退場することになりました。あのシーンでの『Dearest』演出は非常に効果的だと思います。
今日たまたま立ち寄った店で「超高輝度サイリューム」を見かけました。発売された初期に高輝度のものは黄色しかなかったのですが、今では各色が揃ってます。もちろん、数秒も悩まずに買い物カゴに入れました。
夜を待って点灯してみると、予想以上に明るいです(コンサートに持ち込むときっと迷惑になるでしょう)。比較の為にFXライトセーバー(ヨーダ)と並べてみましたが、ちっとも負けておりません。< というか、私がライトセーバーを好きなのは、サイリュームを好きが起源です。
サイリュームを応援グッズとして最初(1986年)に使い始めたグループの一人としては、今でもサイリュームが応援グッズとして使われて続けていることに感慨を覚えます。みんなで緑のサイリュームを並べて赤い指揮灯を振ってたのも懐かしい思い出です。
20分ほど経つと発光が弱くなってきました。パッケージには15分と書いてあるのでだいたい妥当な時間だと思います。
短い時間でしたが、サイリュームの光の中に走馬灯を見てた気分です。きっと、マッチ売りの少女も同じようにトリップしていたのだろうと思います。
さて、明日も頑張ろう。そんな気分になりました。
『境界のRINNE』(高橋留美子/小学館)の単行本1巻&2巻が同時発売されたので、さっそく近所の書店で購入してきました。
昔なら読書用・保存用・布教用の3冊ずつを買っていたでしょうが、昨今の出版事情を鑑みるにメジャーな高橋留美子作品は何度でも再販され続けてます。別に初版にはこだわらないので、保存用は買いませんでした。もっとも、マンガ喫茶の存在を考えると必ずしも布教用が必須とも思えません。たぶん、メジャーな作品のファンにとっては良い時代になったのだと思います。
4日(日)02時30分から日本テレビ(関東地方)でアニメ『犬夜叉・完結編』(全26話)が放映開始です。
第1話は、神楽の裏切りから白童子が吸い込まれる辺りまでです。ちょっと詰め込んだ感じがあったけど、テンポよい展開だったと思います。「いままでのあらすじ」をまったく省略したところに、ある種の潔さと効率を感じます。
最終回までのプロットはほとんど確定しているのでしょうので、ちゃんと「マンネリ感のない演出」がなされると期待しています。
もともとサイリウムはミリタリーやアウトドアの道具だったんだけどなあ。
二十数年前に初めてサイリウムをイベントに持ち込んだ身としては(それまではペンライトが標準でした)、今でもイベントでサイリウムが使われていることに感慨を覚えます。
趣味の交友において私が個人的に目指している交流レベルは、「互いに呼称を憶えるに留まる人間関係」でも「その趣味だけで繋がった人間関係」でもなく、「その趣味以外でも繋がった人間関係」であり「その趣味から引退しても消滅しないような人間関係」です。
確かに最初は単一の共通項でしか繋がりえませんが、そこから発展させていくことが重要です。
そのためには、ビフォーやアフターで一緒に行動することや、一緒に行動しているときにほどほどの雑談することや、mixi日記などで様々な話題について書くことなどが有効だと思ってます。だから私は、自分が管理する場において「運営に支障のない範囲で雑談OK」とすることが多いですし、mixi日記で趣味以外のこともいろいろ書くようにしています。< 週末や夜はどほどに忙しいので、稀にしかアフターに参加できないのが残念です。< つーか、新橋や池袋や千葉は微妙に遠いんだいっ(涙
そして何よりも「同好者や同席者としてではなく人として互いに尊敬できること」が大事だと思ってます。互いに長所も短所もありますし相性もあるでしょうが、あせらず紡いでいきたいと思ってます。
もちろん、いつまでもその趣味だけを通じた交流レベルやオンライン限定の交流レベルに留めたいとする人たちにまで、無理にそれを求めやしませんよ(苦笑)
そして、既に複数の共通項で繋がっている人たちとは、新たな共通項を増やしていくのが良いと思います。
そのためには、一緒に行動しているときに自分の趣味を紹介していくのが有効だと思ってます。< 非ゲーマーの集まりでときどきゲームなど紹介しているのはそういうわけです。さすがに高橋留美子作品を紹介することはあまりないですけど。
また、もともとオフラインでの知り合いにはオンラインでの繋がりも求めるようにしています。
十数年ほど昔の話になりますが、こんな問題がありました。
『犬夜叉』は高橋留美子作品の一つです。『犬夜叉』ファンのAさんが、高橋留美子作品ファンを増やしたがっているBさんたちのサークルにやってきたとします。このとき、BさんたちはどのようにしてAさんに『うる星やつら』や『めぞん一刻』を読んでもらうべきでしょう?
ここで2つの運営思想がありました。
経験則で言えば、高橋留美子作品ファンを増やすのに有効なのは前者です(ただしそれなりに時間が掛かるので、人間関係の維持に努める必要があります)。後者も効果がありますが前者には及びません。だからと言って、後者の思想を否定しているわけではありません。後者の運営思想においては、ほとんどのメンバが同じ興味範囲を持つので、既に高橋留美子作品ファンである者はより多く愉しむことができます。また、小規模なサークルは、後者の思想で運営しなければならないこともしばしばです。
「未だ高橋留美子作品ファンでない初心者1」には前者がより適してますし、「高橋留美子作品ファンになったばかりの初心者2」には後者がより適してます。「初心者」という用語を使うときはこの違いを意識する必要があります。もしも後者が初心者募集の名目でAさん(初心者1)を招いてしまったら、他の作品を強制あるいはサークルから排除することになります。それらはAさんに反感を抱かせる原因になりえます(多くの史実では、Aさんが女の子でBさんたちが大きな男の子ばかりだったこともいくらか影響あるんだけどさ…)。Bさんたちが嫌われた結果として、高橋留美子作品まで嫌われては元も子もありません。強制も排除もしないで済む為には、例えば募集要項で「初心者1ではなく初心者2を歓迎」と明確にしておくことが必要です。
ところで、世の中に後者の思想の高橋留美子作品サークルばかりしかないと、Aさんは行き場所がありません。結果として、Aさんたちは自分たちで『犬夜叉』ファンサークルを作ることになります。そして、やがてそのサークルのメンバが他の高橋留美子作品に興味を示し始めると、前者の運営思想に近い状態になります。< で、その脱線の是非を内部で論争することになります。
NHKラジオ第1でドラマ化されるそうです。2009年7月19日〜2009年9月6日(日曜22:15〜22:45)。
http://www.nhk.or.jp/audio/prog_me_future.html
かなり愉しみにしています。
児童ポルノ法について、私は「児童の保護」と「創作物の規制」とは別の法律で論じるべきだと思ってます。主な理由は以下の3つです。
本当に児童を犯罪から守りたいのであれば、感情ではなく理性で議論すべきです。感情で議論して結果的に児童を守れなくしてしまうのは、非常に愚かなことだと思います。
タバコやアルコールを規制すれば、麻薬犯罪を減らせるか?
一般論で言えば、「他人にとってゴミでも自分にとって宝物」というのは「自分にとって宝物でも他人にとってゴミ」ということです。例えば他人が残したゴミを処分したらその他人が猛烈に怒りだしたとします。そういうときには「何を逆キレしてるの?。だったら自分のとこで保管するかちゃんと保管依頼しろよ」となるのが普通だと思います。
ここで問題になるのは「一般的にその物に価値があるとみなされるか否か?(空き缶1個が残されてたら捨てられて当然」「物が置いてある場所の管理責任は誰にあるか?(同居の場合は自室においてあるか他人の部屋においてあるか共用の場においてあるか?)」「保管義務があるか否か」「保管者が相応の対価を受けているか否か(対価を受けてない場合は、自分の持ち物と同じ程度の注意義務で構わないのだ < 民法の規定)」「その物があることによる損失はどの程度か」などじゃないかな。「処分する前に確認して欲しい」という主張も「現に何年間も放置している」などの事実があれば対抗するのが難しいと思います。
こういう条件をクリアーしてなお処分されてしまったのであれば、処分した側に非があると思います。< うん、怒って当然。
こういう問題は、総合的に判断するのが大事だと思います。
「CR機動新撰組萌えよ剣 疾風怒濤編」がリリースされました。
週刊少年サンデーで『境界のRINNE』(高橋留美子/小学館)の連載が始まりました。古参の高橋留美子作品ファンの一人として大いに期待しています。
とはいえ、高橋留美子作品が持つ魅力は昔ほどの希少性があるわけでもありません。かつての『うる星』のように社会現象に至るまではないだろうと思ってます。それでも、大切なのは周囲による評判ではなく私による評価です。私がこの作品で好きである間はずっと応援していくつもりです。
第1話はけっこう面白かったです。みんなにおすすめできます。
おそらく『境界』は、転生元の現世と転生先の現世との境にある「赤い観覧車(輪廻の輪)が浮かんでいる不思議な世界」そのものを指しています。また、『RINNE』は「輪廻転生」と「六道りんね」とを掛け合わせた語句だと思われます。そのために、漢字でも平仮名でもなくローマ字で表記されているのでしょう。
「子供の頃に神隠しに遭ったことで幽霊が見えるようになった女子高生・真宮桜」と「死神を自称する赤髪少年・六道りんね」とが出会います。その少年は、桜のクラスメートでした。
真宮桜の「トンカツ 最高―っ」がどことなく気に入りました。トンカツは、「かつ吉」(渋谷)のランチや「赤城」(相模原)のカツカレーが好きです。たまに食べに行ってます。
少年サンデーの発売日は毎週水曜日ですが、それ以前に入手している人たちもいます。でも、例えば月曜日に読めたところで、その続きを読むためにはやはり次の月曜日まで7日間を待たねばなりません。それでは、毎週水曜日に読んでいるのとたいして変わらないのです。むしろ、ネタバレ禁止ということで感想を語り合う愉しみも限定されてしまいます。
いろいろ考えましたが、やはり水曜日に読もうと思います。わざわざ手間をかけなくとも、近所のコンビニで簡単に入手できますし。
『境界のRINNE』(高橋留美子)の予告には「小さな頃、ある出来事に遭遇し幽霊が見えるようになってしまった少女・真宮桜。そんな彼女に ある日訪れる不思議な出会い――!?」とあります。
この設定は、テレビドラマ『ゴーストフレンズ』(NHK)と似ています。
『ゴーストフレンズ』は、2009年04月02日からNHKで放映されています。脚本は、高橋留美・他。あらすじは「交通事故がきっかけでゴースト(幽霊)が見えるようになった女子高生の明日香は、心残りを抱えるゴーストたちの役に立とうと奮闘していた。そんなある日、自分と同じ能力をもった青年のカイトと出会う。しかし、彼は人間の姿をしたゴーストだった……」とあります(Wikipediaより)。
『ゴーストフレンズ』の他にも、真宮司サクラ(サクラ大戦)と真宮桜(境界のRINNE)との対比もあげられます。
このように強引に解釈して愉しむのは、連載が始まる前ならでこそのものです。もっとも、ファンの中には二次創作でコラボやクロスオーバーして愉しむ人も出てくることでしょう(笑)
本日発売の週刊少年サンデーに『境界のRINNE』(高橋留美子)の予告が載りました。背景に印刷されている絵コンテを見るに、「そういうデザインの妖怪あるいは幽霊」が登場するタイプのコミカルな作品になると思われます。また、メインであろう男女2名の存在から、ラブコメであることが予想されます。高橋留美子先生の過去の発言をあわせて推察するに、主人公の真宮桜は中学生(しかも1年生)であろうと予想します。
『境界のRINNE』は『境界』でも『境RIN』でもなく『RINNE』と呼ばれるだろうと予想しています。
2009年04月05日(日)、コアいけぶくろ(豊島区民センター)総合展示場にて高橋留美子作品中心同人誌展示即売会「るみけっと10」が催されました。同人誌販売だけでなくコスプレやグッズ展示やジャンケン会や抽選会やトレカ配布などもありました。特に展示関係は、単行本ページ(未切断)やA級セル画や過去の見本同人誌などなかなか充実してました。
ざっと見たところ参加者は200人ぐらい。コスプレイヤーは以前ほど多くはなかったです。
「今年ので最後になるかも知れない」と聞いたので、ちゃんと挨拶してこようと思いました。いろいろご縁もありますしね。
で、当日の朝。市民さくら祭りのためにバスが運休しているので、朝は相模原駅まで歩きました。祭りの翌朝の割りにゴミがほとんど落ちてません。夜中のゴミ拾いなどスタッフの苦労が伺えます。電車を乗り継いで池袋まで。いつも通っている道なので迷うこともありません。
会場に到着したのは11時半頃です。今までの開催に敬意を表し、カタログのバックナンバー全種を購入しました。
みなさんに挨拶まわり。昔ほど知り合いが多くないですが、けっこう時間がかかりました。何冊か同人誌など頂きました。ありがたいことです。
旧知あるいは初対面の知り合いなど40人ぐらいに会ったはずです。全員の顔と名前が完全に一致するかと問われれば、少しだけ自信がなかったり(汗)
いつも参加しているボードゲームサークル「袋小路」の5周年記念例会が13時から近所(THU池袋)で開催されてるので、手土産の『盤牛』を片手にちょこっと顔を出して参りました。
るみけっとの抽選会で書店用の『犬夜叉』エプロンを頂きました。こういうのはちょっと嬉しいです。
なんだかんだで最後までずっとスタッフベースにお邪魔してました。< 私はるみけっとスタッフでも一刻会メンバでもないはずなのですが?(笑)
16時頃まで撤収作業など。同人誌を整理している人たちの後姿がそこはかとなく面白かったです。
16時半から「安楽亭(池袋西口店)」でスタッフの打ち上げ(15人)でした。なんだかんだで、ずっと私が熱く語っていたように思います。キーワードは「新作コミュの運営について管理人さんたちと悪巧み」「お肉が増殖するお皿が素敵です」「めぞん一刻カードゲーム」「野球は宗教だと思ふ」「なれそめ」「抗議の目的は怒りの発散ではなく改善の要求です」「トランプの歴史について」「実は年下?(笑)」「装甲を外すと速くなります」「空気を読めないなら、外さない話題を用意するのが宜しいかと」「昔のカタログは個人情報の山なのか?」「株主権限で会費1000円」「熱くなると口調が鶴屋さんになるのさっ!」などなどです。
池袋から八王子まで車中で、るみけっと代表さんとずっと二人でお話してました。いろいろ分析や提案などさせていただきました。義理は果たせたはず。
相模原駅から徒歩。夜桜が綺麗でした。11時頃に帰宅。
甲州街道にて、ずっと思い付きを喋り続けました(ブレストですな)。
コンベンション開催は、るみけっとでなくてもいい。新作の世代に任せようよ。それでいいじゃん。「大きな男の子と小さな女の子」が「大きな女の子と小さな男の子」になるかもね。どんなスタッフの姿を見ればスタッフ応募したいですか?(< 若いスタッフに来て欲しいなら)。スタッフは負担が減ることよりも役割が増えることを望んでるんじゃないかな。予算なんてもんはみんなに負担してもらえばいい。負担した人は遠慮せずに意見を言ってくれるしね。その代わりに役割と満足感を提供すればいいです。「3万円だしてよ。対価は一生ずっと残る思い出だけ!」でいいじゃん。「まとめるボス」と「率いるリーダー」との違い。ジャンケンや抽選会の目的は、商品をプレゼントすることではなくみんなを愉しませることだよ。だから、負けてる人もワクワクできる演出が大事かと。昔のオークションビデオを見るかい。同人誌即売会でないコンベンションや企画を考えてみよう。コスプレレンタルや中古衣装即売会は。グッズフリーマーケットはどうかな。荷物置き場があればコスしやすい。コスプレ写真のバックナンバー。トレカカードはゲームに。TVゲーム大会。夜中のキャンプ場で何をやる。夜間の屋外上映会は迫力あるよ。パンフも入場料も参加チェックもないコンベンションはどう?(花見とか)。新作がスポーツものならコスプレOKなスポーツ大会。調理教室や聖地巡礼や写生大会や検定試験や合唱コンクールなどもコンベンションだよ。スタジオ借りて録音してCD作る。声優さんを呼ぶかい。ライブ形式もいいかな。けもこん2010とか? < などなど企画案を40個ぐらい提示しました。
例えば、プレー目的の人たちと交流目的の人たちとを同時に満足させるスポーツ大会を運営するのはけっこう難しいです。バレーボールやりたい人とラクロスやりたい人とがローカルに共存するのも同様です。他の例では、パーティにおけるメニュー選択や、昼食やアフターにおけるお店の選択や、旅行先の選択や、ユニフォームのデザインなどがあげられます。
これらの例のように、メンバ全員を満足させる選択肢が存在しないことはしばしばありえることです。
基本的な構造は「人数と満足度のトレードオフ」になります。
不特定多数を対象にしたスポーツ大会なら「この大会はプレーを愉しむバスケットボール大会です」や「この大会は交流を愉しむバレーボール大会です」のように方針を明示することが有効です。たしかに参加人数は減りますが、参加して不満を抱く人は少なくなります。但し、参加人数が最低催行人数に達しないのであれば(あるいは将来を見据えての人材育成などの必要があるならば)平均満足度を下げることになってでも人集めしたほうがいいかも知れません。
特定多数を対象にしたパーティなどの場合はたいてい「全員が参加できること」が優先されるので、最大不満が最も少なくなるような選択肢が望まれるでしょう。その結果として満足度が下がるのはやむを得ないことです。それでも選択肢が存在しないことはありえます。中華料理しか満足できない人とフランス料理でしか満足できない人とが同じメニューで満足するのは難しいのです。
確かに、ガチ勝負バスケと交流バレーとを同じ日程で同じ場所で開催することは可能です。パーティにおいて別々のテーブルで別々のメニューを愉しむことも可能です。でも、それでは何のために開催しているのかという根本的なことが問題になります。
ローカルで共存できないなら、住み分けることでグローバルに共存を図るのが大事です。そのためにも、それぞれのローカルが方針を持つことが必要になります。確かに去る人もいますけど新たに来る人もいるのです。住み分けは必ずしも運営集団ごとになされなくても構いません。イベントごとに方針を変えてもいいのです。例えば、前回は和食で、今回は中華料理パーティで、次回はフランス料理パーティとしてもいいのです。
こうすることで、世界全体での満足度はより高くなります。
え、仲良しグループで昼食会の選択肢がない?
いいじゃん、昼食会は諦めなよ。その代わり、昼食以外での交流をちゃんとやればいいです。昼食でしか繋がりが保てないわけじゃないでしょ?
高橋留美子作品の為だけにサンデーを買ってます。
週刊少年サンデー16号に『My Sweet Sunday』(あだち充/高橋留美子)が掲載されました。内容は、それぞれの自伝的なものです。高橋留美子先生がどのような経緯でマンガ家を志したかが描かれてます。雰囲気としては、『けも・こびるの日記』が近いです。
確かに、高橋留美子先生が描いた「Dr.マシリト」(推定)は貴重かも知れません(笑)
4月22日(水)発売の21&22合併号より、高橋留美子先生の新連載が始まります。
恐らくは、より子供向けの作品にするのではないかと推定しています。
展示場だけでなく美術館で開催されているというのがポイントです。マンガもまた芸術の一分野として認められてきたということでしょうか。
来年の冬にDVD『It's A Rumic World』が発売されます。高橋留美子展示で上映された『黒い鉄砕牙』『悪夢!春眠香』『ザ・障害物水大会』のフルバージョンが収録されてます。
さすがに、『めぞん一刻』のは無いようです。
高橋留美子劇場『運命の鳥』を読みました。
「ガラス等を通しては見えない」とわざわざ明記してあるのは「TVに映っているのは見えない」を暗示してると読みました。それがこの作品の隠されたテーマだろうと思います。
そう考えますと最終ページの「きっときみは、自分の力で運命の鳥を追い払ったんだね」や柱「しあわせっていうのはきっと、自分で掴むものなんだ」の「きっと」にも意味があるのだろうと思えます。
果たして、五木りつこは本当にしあわせなのでしょうか?
…そんなことを考えました。
オリジナル6号。カラー広告の高橋留美子劇場の第1集「Oの悲劇」ではなく「Pの悲劇」です。表紙に舞う羽(11枚)は赤ではなく白。季節は冬。「軽食喫茶 鳥の巣」。塚内(競馬)。1枠バードパリー。馬連1-3は外れ。馬連2-4が当たり。能力に因む命名だとしたらマスターの意図は。黄色い帽子の小学生。三日月。高校2年。五木ひろみ。学校のマドンナ。左目の下にホクロ。東京でホステスしてるとしても18歳未満なのでわ。鳥居少年が上京したの街のモデルは(陸橋)。寿。現在は学生。演劇部。彼氏は涼くん(居酒屋バイト。学生)。同行の友人は成年(∵喫煙)。舞(ニューハーフ。近所)。山田さん(占い主婦)。ペンダント1000円。JRの駅。時刻表と構造からモデル駅は分かるか?。300万円。白い車。左腕を骨折。悪役王。熊のシャツ。黒い犬。白い猫。
「ガラス等を通しては見えない」とわざわざ明記してあるのは「TVに映っているのは見えない」を暗示してると読みました。もしかしたら、これがこの作品の隠されたテーマかも知れません。
この春から週刊少年サンデーで高橋留美子の新作品が連載されます。過去には『うる星やつら』『らんま1/2』『犬夜叉』などが連載されてました。< ちなみに『めぞん一刻』は別の雑誌ね。
さて、『うる星』の作者と『犬夜叉』の作者は同じ人です。でも、『うる星』の作者としての高橋留美子と『犬夜叉』の作者としての高橋留美子とは必ずしも同じとは言えません。この春からの新連載が想定するターゲットによっては、また新しい高橋留美子が出現することになります。
作品のファンであることと作者のファンであることとは必ずしも同一ではありません。その違いを適切に自覚できない人は新作品を正しく評価することもできないでしょう。「あんなの高橋留美子作品じゃない!」という台詞がどこかで発せられるだろうと予想しています。もっとも、そういう腐女子の一部にとっては『うる星』も「あんなの高橋留美子作品じゃない!」らしいですけど?(笑)
好きになるか否かは分かりませんが、新作品を愉しみにしています。今までの経験を基に予想するなら、たぶん好きになるだろうと思ってます。
『犬夜叉』56巻(高橋留美子/小学館)が発売されました。これが最終巻になります。いろいろと未回収な伏線もありますが、ちゃんと完結してくれました。『(特別編集版)犬夜叉とかごめ』も同時に発売されました。
私が思うに「キャラゲー」とは、「何らかの世界観を有する作品(マンガやアニメに限らず小説や映画や史実やゲーム原作世界なども該当しえます)に登場するキャラクター(名称あるいは外見などの個性が設定されているもの)を主要な要素とし、キャラクターの言動を模倣(mimicry)することが愉しむ上で必須であるとデザインされたゲーム」です。ただし、多くのボードゲーマーは慣習的に「マルチメディアを用いるもの」や「もっぱら模倣を愉しむもの(TRPGなど)」を別ジャンルとして除いています。
# その特性上、マルチメディアを用いるものが多いのですが、ここでは主にボドゲを例に出して論じます。
例えば『人狼』や『あやつり人形』や『キル・ドクターラッキー』などは、個人をプレイするものですがキャラゲーとは扱いません。また、キャラクターが単なる識別記号でしかないもの(シミュレーションゲームに分類されるものに多い)は、厳密にはキャラゲーとは扱えないことがあります(ただし、その作品世界を想像できるプレイヤーにとっては、キャラゲーとして扱うことができるでしょう)。最近の例では『源氏』があげられます。原作を知っている人あるいは作品世界を妄想できる人にとってはキャラゲーになりえますが、作品世界を想像できない人にとってはキャラゲーになりえません。
もともと非キャラゲーだったものが作品世界を設定することによってキャラゲーとなることもありえます。確か、先述の『人狼』を新撰組キャラに改変した同人ゲームがあったと思いますが、それは新撰組ファンにとってはキャラゲーになりえます。
ぶっちゃけて言えば、登場するキャラに対する「愛で」「萌え」を抱けるか否かですな。< 厳密には違うのですが、「萌えゲー」でない「キャラゲー」の比率を考えますと…(笑)
この春から高橋留美子先生の新連載が始まります。またいろいろと忙しくなりそうです。週末の何日かをルーミック系の活動に割り当てることになると思います。
『うる星やつら』のゲストキャラの中では、望ちゃんが特に好きです。原作では24巻「最後のデート」に、アニメでは180話「ダーリンの優しさが好きだっちゃ…」に登場します。
入院中に諸星あたるに恋をし、思いを告げることもなく死んでしまった彼女は、幽霊となって諸星あたるにデートを申しみます。事情を知った諸星あたるは、彼女のために精一杯の優しさを見せ、彼女の手編みのセーターやマフラーやレッグウォーマーや手袋をして真夏のデートに臨みます。最後に彼女は成仏しますが、あたるは彼女が成仏した後も「もう少し着てる」と彼女の想いを大切にします。私はこの話が大好きです。
もう二十数年前の作品ですが、先日のネットオークションでたまたま彼女のセル画が出品されてました。「わー、真っ白ー!…きれい…」のシーンのカットA5(背景なし動画なし)です。このシーンは高橋留美子先生の特にお気に入りのシーン!
彼女については、初登場シーンの原画などいくつか所有しています(そのうちのひとつはイベントで奇跡的に入手したものです)。コレクションが増えてけっこうご機嫌です。
いわゆるオタ芸には及びませんが、サイリューム振ったりコール掛けしたりしてたことがあります。簡単ながらも主催者と打ち合わせ、一般参加者にコール表とともに趣旨を周知したりもしました。< ちなみに、サイリュームを応援に用いたのは私たちが元祖のはず
当事者ら(応援したい人、静かにして欲しい人、出演者やスタッフ)が共有できる価値観あるいは空気を形成できないのであれば、イベント主催者が「このイベントはこういうイベントである」と決定しなければなりません。
ふと、「イベントを盛り上げるのは客ではなく出演者の仕事。でも、私は静かに聞きたいので盛り上がって欲しくない」と言ってた人のことを思い出しました。その人から見れば、出演者による歌はあくまで「商品」なのだそうです。
コミックマーケット75に参加なされた方々にはおつかれさまでした。
私が参加しないのは、「高橋留美子作品を扱った本が少ない」「往復するのも行列するのも面倒くさい」「コミケに参加し続けないと縁が切れてしまう人もいない」などが理由です。
でも、古い友人らは知ってるでしょうが、私だってコミケに行ったことあります。コミケ29から40ぐらいまでスタッフしてました。いろいろありましたが良い時代だったと思ってます。
現在のコミケットは往年とはずいぶんと様変わりしましたが、現在なりの存在意義があると思ってます。いつまで続くか分かりませんが、暖かく見守っていきたいです。
久しぶりにアニメ『機動新撰組 萌えよ剣』を見ました。
『機動新撰組 萌えよ剣』のキャラクターデザインは高橋留美子によります。商品としては、PS2用ゲーム(2002年)、OVA(2003年)、TVアニメ(2005年)、パチンコCR(2007年)などが知られてます。ゲームの出来についてはそれほど褒められたものではありませんが、アニメやCRは良く出来ていると思います。
ゲームの出来の悪さに「高橋留美子は仕事を選ぶべきだ」という辛らつな意見も見受けられます。しかし、キャラデザの段階では開発はまだ始まったばかりであり、ゲームの出来を予見するのは不可能だったと思います。
新撰組隊士の娘であるという設定の3人娘(近藤勇子、土方歳絵、沖田薫)はそれぞれ自分の刀を所持しています。
近藤勇子(17歳)は、打刀の一本差です。鞘は赤呂塗で柄も赤です。金具は銀色で描写されることが多いです。土方歳絵(17歳)は、薄紫の打刀を右腰に差してます。銘は和泉守兼定です。沖田薫(15歳)は、大小の二本差ではなく大大の二本差をしています。でも、二刀流で戦うシーンはほとんどありません(OPで少し見られるくらいです)。体格から考えても、小小の二本差(小太刀二刀)の方がまだ戦いやすいのではないかと…
この作品でコスプレする人はさすがにもうほとんどいないと思いますが、この拵は秋葉原で実際に売られてたりします。
三人娘は戦闘時に「機動甲冑」なるものを着装します(TV版では無し)。なかなか好みのデザインなので、自分用の甲冑を作るときにはこの機動甲冑をモチーフにしようかとひそかに計画中です。
いわゆるアニメのコスプレはしないですが、けっこう変わった装束(インバネスやトンビなど)で街を歩いたり行事に参加したりすることがあります。この話をすると、たまに「外コス(一般人たちの目に触れる屋外でコスプレすること)はすべきでない」という意見を頂戴することがあります。< そもそも、コスプレじゃなく普段着なのですが(苦笑)
さて、日本の文化は世界の様々な文化と同様に、かなり自由な装束を認めていると私は思ってます。よって、咎めるべきことがあるとすれば、その装束ではなくその振る舞いにあると思ってます。
別に、コスプレイヤーの全てがマナーやエチケットを守らないわけじゃないです。ただ、ちゃんと守るコスプレイヤーは一般人の目に触れないとこで活動しているので結果的に、守らないコスプレイヤーばかりに見られてるだけです(だから規制も増えます)。この構造の一因には、多くのコスプレイヤーが頭ごなしに「一般人の目に触れる場所で活動することはマナーやエチケットに反する」と考えていることがあります。
私は、マナーやエチケットを守っているなら一般人の目につく場で活動してもいいと思ってます。だからこそ、具体的なマナーやエチケットの内容をちゃんと考えていくべきだと思ってます。
ラムちゃんの刺繍が入ったジャケットとパーカーが発売されるそうです。値段もそれなりにしますが、これを買いたいと思う人たちは既にけっこうな年齢になっているだろうと思います。もっとも、その人たちが実際に着るかどうかは別の問題です。記事によれば、「ビューティービースト」(東京都目黒区)で今月から先行販売されるとのこと。
サンデー50周年フェアの『うる星』クジが期間終了しました。クジまたは賞品を安売りしてるかもしれないと期待し、いつも利用している「セブンイレブン」に行きました。残った賞品がそれぞれ500円で売られてましたが、あいにく良いものは並んでおりませんでした。商品棚を見ていると、いまや顔馴染みになった店員さんが声を掛けて来ました。「時計を取り分けてありますよ(^_-)」とのこと。こういうのはけっこう嬉しいものです。少し雑談し、ありがたく500円で購入させて頂きました。< 残念ながら、宣伝ポップなどは既に処分してしまったそうです。
原則としては、会合に支障をきたす可能性が低いなら「裁量範囲として運営者が認可する」が必要で、会合に支障をきたす可能性が高いなら「運営者が認可しあらかじめ参加者に告知してあるか周知されているかその時点で多数の認可を得るか」が必要だと思います。
サンデー50周年フェア@セブンイレブンの「こたつねこミニテーブル」をようやく入手できました。すっかりコンビニのおねーさんに憶えられてしまいました(苦笑)。このテーブルは保存用でも布教用でもなく実用に供するつもりです。
次は仙台です。仙台にもルーミック絡みでいろんな思い出があります。もうどれもこれも20年近く前のことだけどね。「杜の都 うる星復活 夏祭り」「夏祭り 仙台 笹かま 萩の月」などと詠んだものです。
なあ、古き友よ。いい世の中になったじゃないか。我らが愛したルーミックは今もなお輝いているよ。
「セブンイレブン」でフェアをやってます。欲しいのはミニテーブル(こたつねこ)とハーフケットとクリアファイルなのだが…今日の戦果は以下の通り
明日も頑張るぞーっ!
キャンペーンということで、700円分を買い上げる毎に1枚ひけるクジがあります。まとまった買い物をしたので14枚を引きました。何が悲しいかって、14枚のうち12枚が当たりだったってこと(苦笑)
寒いので、アイスは少し困る(苦笑)
セブンイレブンでは、サンデー&マガジンの50周年キャンペーンの一環として『うる星』をパッケージに用いたお菓子やキューピー根付などが売られてます。他にも、「うる星やつら当たりクジ」やってます。1回500円と安くはありませんが、賞品は以下に示すようにそれなりに良いものです。
推定するに、時計やテーブルやハーフケットはそれぞれ20本に1本ぐらいみたいです。もっともヤフオクで買った方が安いかも知れませんが…
ときおりこのような形で世の中に周知されることを喜ばしく思ってます。これを機会にマンガ喫茶などで作品を読んでくれる人もいるでしょう。現代の感覚にマッチするとは限りませんが、それでも何人かはファンになってくれるでしょう。そしたら、『うる星』について語ることができる仲間が増えるかも知れないじゃないですか♪
ネットなどの匿名性を用いれば、仮想的に「本名の人格」でない「ハンドルネームの人格」を存在させることができます。この結果として、いろんな設定の自分をプレイすることが可能になります。 < 便宜的に、「本名の人格」をプレイヤーと呼び、「ハンドルの人格」をキャラクターと呼びます。
いつかプレイヤーとして交流することを想定するなら、できるだけキャラクターの設定はプレイヤーをモチーフにした方がいいです。もしあまりにプレイヤーとキャラクターとが乖離していると、リアルに顔をあわせづらくなるでしょう。
もし、プレイヤーとして交流するつもりなどまったくないなら、プレイヤー情報を完全に秘密にしたり、キャラクターを任意に設定したりたりもできます。でも、それは相手に失礼なことだと思います。< お互いに了承しているならそれもいいけどね(例えばナリチャやイメプなど)
…本当にお互いに了承してやってますか?
客商売の人の「仕事の顔」は、たいていプレイヤーではなくキャラクターです。お客もそれを了承して愉しむのが宜しいかと。もしプレイヤーとして交流したいなら、高いハードルがあるかもしれません。
新聞を読むときは、掲載されている記事をある程度にバランスよく読むことができます。でも、ネットでニュースを読むときは、読みたい記事ばかりを選びがちです。自分で読みたいものを選べると言うことは、誰かがセレクションしたものを読むよりも偏ってしまうことがありえるのです。思想や観点の異なる複数のセレクションに目を通すことで、ある程度にバランスよく知識を仕入れることができると思ってます。
録画機器が普及してなかった時代には番組を視聴するために深くまで起きていた人が多かったですが、録画機器の普及と共にその必要性が小さくなりました。その代わりに、ネットの普及で遅くまで起きている人が増えたように思います。
ネットユーザーの中には、「いつもネットにアクセスしてなきゃならない」と強迫観念を抱いている人がいます。本来は「いつでもネットにアクセスできる」にすぎないのですが、そこにコミュニケーションが発生することでそのように抱く人が現れたみたいです。
結果的に、24時間いつもネットに振り回されることになります。そのために、ネット以外での活動が少しずつ制約されてしまいます。
ネットも時間を決めて利用すれば他の作業をする余裕が十分にあるのですが、なかなかそうもできないみたいです。思い返すに、テレホーダイの時代は、23時までしっかりとネット以外の作業をすることができました。
もともとEメールは手紙の延長なのですが、昨今ではそのことを知らずにチャットやメッセの一種として用いている人もいます。そういう人は、相手が「メールはチャットのように使うものじゃない」と思っていることになかなか気が付きにくいみたいです。
週刊少年サンデー&マガジンの50周年記念コインが、セブンイレブンにてジョージア缶のおまけに付いてます。全部で15種類ありますが、私の興味は『うる星やつら』(高橋留美子)だけです。金色のコインにラムちゃんが刻印されています。とりあえず、セブンイレブンを4軒ほど巡りました。完全に買い占めるほど強欲でもないので、それぞれの店舗に1缶だけは残すようにしました。
思い出すに、10年前の40周年キャラコインのときは苦労しました。なんせどのコインが封入されているか外部から判別できなかったので、箱買いしてましたから…
用事2件を済ませてから14時@有楽町駅。すっかり汗だくです。なんとか合流。で、まんが祭りには誰も行ってない。留美子展跡@松屋銀座。ひよこ。20年前の西瓜ソーダ。それが理由かいっ。スイカさまのたたり。なめこ。おでんの大根。あの人たちは今どこで。真祖たちの酒宴(5人)@ライオン銀座5丁目店。ブーツ型ジョッキ。入り口は一つではない。管理職。ドラフトギネス。いろいろ積もった話。ゴボウさくさく。家族が増えました。留美子展の裏話。15時に羽田のはずだっけ。サイリューム。FXライトセイバー。フランスに帰らせてもらいます。クルーザーで釣り。露出度の高いアーマーの女の子。めたぼ。まんが喫茶。ロイツマガール。やまざき絵コンテ。うっちゃんチャットの方々は。モノポリー留美子エディション。ビザの皿。人魚シリーズ。健康は大事。新谷かおるのメカ。乙女道をストリートビュー。生キャラメル。メイド喫茶いろいろ。武器屋と太秦。結局は自由サイコー。忘れられたケータイ。ひそかにカバンの中に(スイカのお礼として)。梅昆布茶。東京駅で19時半のバスを見送り。解散。中央線経由で22時前に帰宅。すごく楽しかったです。
一般人の間では、マナーの悪いコスプレイヤーの印象が強いようです。これは、コスプレが許容されない場でコスプレするのがマナーの悪い人ばかりだからでしょう。
なお、コスプレとはコスチュームだけでなくプレイを含む概念です。単に変な格好をしているだけでは、それほどどうこう言われることはあまりないのです。
マナーの良い人が目につくようになれば、少しは変わっていくかも知れません。教条的に「会場以外でのコスプレ禁止」ではなく、コスプレして良い場であるか否かを自分で判断できるようになることが大事だと思います。
ちょうど25年前の8月に購入した定規があります。すっかりボロくなってますけど、まだ実用に耐えれます。当時は「もったいなくて使えない」って考えていたのですが、いつのまにか「使わなきゃもったいない」と考えるようになりました。たぶん、一生ずっと使えるだけのストックがあると信じることができたからです。
他にもいろいろ残ってます。
7月30日(水)と31日(木)と松屋銀座で開催されている高橋留美子展を見学してきました。初日は、高橋留美子先生と山口勝平さんの姿を見ることが出来ました。
守秘義務ゆえにここでは書けないこともありますが、面白かったです。また行きます。
実はかなり不幸せな高校生活だったんじゃないかな?
もちろん、いじめには負けなかっただろうけど…
梅干を風に当ててます。
どのような生体反応なのかは分かりませんが、鬼族は梅で酔うそうです(『うる星やつら』)。
梅に特有の成分といえば、レートリル(旧・ビタミンB17)があげられます。主に種に含まれます。シアン化合物を含有しているので摂取しすぎは禁物です。
牽牛(牛五郎)と織女(はた子)は、今年も宇宙のどこかで逢瀬していることでしょう。
何度か書いてますが、私が本格的に『うる星やつら』ファンになったのは「七夕デート」からです。自分のサイトを卓上打算機としたのもその縁です。
かなり長いこと、扉絵のラムに憧れてました。私も「ラムは化けとった方がかわいいのだ」な主義なのです。「七夕デート」をアニメ化した「どきどきサマーデート」では(アニメとして必要なことだったとはいえ)ラムがあまり化けてなかったのが少し残念だったです。
その後にいろんなラムを見ました。しばらくして気が付いたことですが、私はどうやら面白い髪型や髪飾りや帽子などが好きらしいです。特に「はえさがり」(いわゆる揉み上げ)がポイントです。「萌え」という感情とは少し違いますけどね。
『笑う標的』は高橋留美子作品としては、数少ない悲劇の一つです。厳しい旧家に育てられた梓の、女としての情念がよく描かれた作品だと思います。当時は、家門と個人との優先度についてけっこう考えさせられました。
原作の『笑う標的』は、単行本化されるにあたりかなり修正がなされてます。「梓が悪ガキを殴り殺す」や「ガラスが割れ〜ジュンが殺される」のあたりが追加されたシーンです。削除されたのが「更衣室の翌日の屋上〜譲に問い詰められる参照コマ」のあたりです。他にも細かいところが何箇所か修正されてます。
一見すると円く見えるエンディングの裏に敢えて描写されてない裏エンディングがあるとする説です。かごめが「会いたい」と思った瞬間に「どこかに四魂の玉が復活して井戸が繋がった」という仮説はどうだろう。「ねーちゃんいないよ」「ここで生きていく」という台詞から、実は現代に戻れなくなってしまっている可能性はどうだろう。妖怪のいるあの世界がそもそも四魂の玉が作り出した世界だとしたらどうだろう。などなど。それらの仮説が成立するか否かを検証したいです。
りんの着物(蝶)が御母堂様(殺ママ)の着物の仕立て直しではないとすると、楓の台詞をあわせ考えて、いくつかのことが想像できます。
かごめちゃんが行った高校は進学校じゃないと思います。かごめちゃんはもともと大学進学を選んでなかったんじゃないかな。これは、「みんなも大学合格したんだよ」でも「みんなは大学合格したんだよ」でもなく「みんな大学合格したんだよ」からの推定です。
3年間に関しては作中で「それから私はずっと考えていた」の通りでしょう。高校生のかごめには明確に「自分がこの世界にいる理由」があったのです。そして、高校卒業してその理由を改めて考えたとき、ふと「(この世界を全て捨ててでも犬夜叉に)会いたい」と何かに願ってしまったんじゃないかな?
かごめが「会いたい」と思った瞬間に「どこかに四魂の玉が復活して井戸が繋がった」という仮説はどうだろう。「ねーちゃんいないよ」「私はここで生きていく」という台詞から、実は現代に戻れなくなってしまっている可能性はどうだろう。もし井戸が繋がらなければ犬夜叉はいつまでも井戸を眺めていただろうか。
まるく見えるエンディングの裏に、敢えて描写されてない裏エンディングがあるような気がします。
『(戦国御伽草紙)犬夜叉』という作品においては、いくつかの例外はあるものの戦国時代はヴァーチャルの世界であり現代はリアルの世界として描写されてました。骨喰いの井戸を通じてあっちの世界とこっちの世界とを行き交う様は、あかたもRPGプレイのようでした。
私は「ヒロインが現代人であると設定した理由」に作品のテーマが籠められていると解釈しました。すなわち、『犬夜叉』とはかごめの成長物語であり、その最終回はゲーム世界からの卒業という形になるだろうと予想したわけです。
連載3年目のあたりでは以下のように考えてました(けっこう面白いこと書いてます)。
ええ、私は『犬夜叉』がハッピーエンドになるなんてまったく思ってませんでした。
七人隊編のあたりからは商業的理由で引き伸ばしが図られていると感じておりましたが、基本的な予想に変化はありません。
桔梗・殺生丸・奈落との決着がどの順序でどのように描かれるかを楽しみにしてました。また、ラスボスは奈落ではなく四魂の玉そのものじゃないかと考えて始めてました。この物語そのものが「四魂の玉の中の世界の出来事」なんじゃないかと…
2008年6月18日(水)、最終回を読みました。予想のいくつかは当たり、いくつかは外れてました。
四魂の玉が消滅してから3年間の間ずっと骨喰いの井戸は機能しませんでした。その事実を受け入れることができた日暮かごめは、確かに精神的に成長したといえるでしょう。妄想や願望の世界に閉じこもることなく現実世界でちゃんと生きている様子が描写されてます。なお、3年後の再会&結婚は単なる読者サービスと解釈しています。
この意味では、私としては満足していいエンディングだったと思います。
普通に早売りサンデーを読める人ですが、『犬夜叉』最終回である今週号は敢えて水曜日に読もうと思ってます。ワクワクドキドキする感覚を9日間も味わえるのはちょっとした贅沢かも知れません。
『犬夜叉』という作品のテーマは、かごめが現代人である理由にあると期待しています。
少年サンデーに連載されている『犬夜叉』も来週でいよいよ最終回を迎えます。
多くのファンが指摘するように、私も「七人隊編以降は、編集部の要請による冗長な引き伸ばし」と考えてます。
物語の収束について、長く引き伸ばされた割にあっさりした印象を受けます。数多くの伏線も未消化のままです。また、終盤で主人公サイドに犠牲が出てないせいか、桔梗や神楽の退場のときほどの盛り上がりが見えません。ぶっちゃけて言えば、琥珀はあのまま死んでいた方が、作品としての完成度は高まっていたでしょう。
このような収束になったのは、「予定より早く最終回にしたから」ではないかと推測しています。なんらかの理由で高橋留美子先生は『犬夜叉』を描き続けたくなくなったのではないでしょうか。
昨今のニュースを傍証として、仮説を立ててみました。
漫画家による昨今の小学館編集部に対する批判は枚挙に暇がありません。また、高橋留美子が高い原稿料を受け取らないことで、他の漫画家たちの原稿料も「お前は高橋留美子以上の原稿料を要求するのか?」と抑えられている話も一部で有名です。
予定より早まった最終回は、これらの話がまともに高橋留美子の耳に入ったからではないかと私は推測しています。
もしこの仮説が正しいのであれば、高橋留美子作品ファンとしてすごく残念です。
最終回は、四魂の玉が消えてから3年後が描かれるそうです。犬夜叉とかごめとが仲良く一緒になるような最終回になるか、それとも、犬夜叉との出会いは青春の想い出として描かれる最終回になるか、それによって『犬夜叉』という作品のテーマが問われると思ってます。
なりチャでは台詞が主体ですので、「こんにちは(と言う)」の「(と言う)」はロール描写に当てはまりません。それは、演劇の脚本で「挨拶する(と行動する)」が意味ないのと同様です。このタイプのロール描写は動詞「言う」に対する副詞だと考えれば宜しいと思います。つまり、どのように言うかが大事です。
週刊連載の『犬夜叉』もようやく(あるいは今度こそ?)佳境に入ったようです。7月に原画展が開催されることから、その頃には最終回を迎えるだろうと予想しています。
MMORPG「犬夜叉オンライン(仮称)」が韓国で開発されるそうです。 ちゃんと権利関係をクリアーしているのか不安だったりします。
昼食の帰りに寄ったお店で、レンタル落ちしたCDやビデオなど販売してました。VHS『犬夜叉』が一通り揃ってました。しかも1本あたり300円です。さすがに持ちきれない重量なのでビデオは諦めましたが、CDは買いこみました。
何日か前に、キャンディーズ解散30周年イベントの様子をテレビで見ました。そこには、現在では禁止されている紙テープ投げの様子が映ってました。ずっと昔に声優さんのイベントでたくさん投げてたのを思い出し、そしてなぜ禁止されるようになったのかも思い出し、懐かしみました。
あいかわらず、マンガやアニメやゲームなどが犯罪の誘引になるという主張を見かけます。
しかし、それらと犯罪との因果関係を示せなければ、説得力はありません。例えば、「犯罪者が新聞を購読しているから新聞が悪い」と一概に決め付けることができないのと同様です。
もし何かしらの主張をするのであれば、どの要素がどのようにプラスあるいはマイナスに影響するのかを示すべきでしょう。
なお、児童ポルノ法の目的は実在する児童の権利を守ることにあると考えているので、創作物について同法で規制することに反対しています。もし同じ法律で規制すると、規制すべきことと規制すべきでないこととの論議が感情論に陥り、結果的に法律の目的を達成することが難しくなるからです。
しかし、世の中には感情論で動いて結果的に有効でない状態を招く人たちが数多く存在するのが現実であり、理性的な人たちはその現実を前提にしないとなりません。もし民主主義を支持しているならば、なおさらです。
まずは、昔話など。
高橋留美子作品ファン層の変化を簡単に述べましょう。最初に『うる星』『めぞん』ファンが現れ、やがてそれらの作品が完結し、多くの『うる星』『めぞん』ファンが去り、残りの『うる星』『めぞん』ファンが高橋留美子ファンとなって残り、そして『らんま』『犬夜叉』ファンが現れました。そして特記すべきは、『うる星』『めぞん』ファンのほとんどが男性であり、『らんま』『犬夜叉』ファンのほとんどが女性であったことです。
そのような構図においては必然的に共存と住み分けの問題が発生します。具体的に言えば、「高橋留美子作品全体のファンである大きな男の子たち」が「その部分集合のファンである小さな女の子たち」と仲良くやっていくにはどうすべきか、という男女問題です。ネットやケータイが普及し始めたばかりの頃ですから、その問題のほとんどはいわゆるリアルにおいて発生してました。実際に、数え切れないほどの事例がありました。祝福すべき共存もたくさんありましたし(幸せに結婚生活を送っている人たちもたくさんいます)、公開すべきでないドロドロした悲劇もたくさんありました。
(中略…論旨は「卓上打算機」参照)
要するに、「その社会の発展の為には、異性と住み分けるよりも共存(繁殖を含む)する方が効果的」と「共通する何かが好きだからといって、相手が自分まで好きになってくれるとは限らない。もし異性と共存したいならば、趣味に関する知識だけでなく一般常識(服装や話題や礼儀を含む)をわきまえることが必要です。もし異性から好かれたいならば、魅力ある人物になることが有効です」と主張してきたわけです。
さて、本題。
共存と住み分けの問題は一般に、男女比が著しく偏っている社会が変化するときに発生します。もしかしたら、武器や衣装の社会やボードゲームの社会にも当てはまるかも知れません(敢えてこういう表現にした事情は察しろ!)。
先述の「(中略…論旨は「卓上打算機」参照)」を適用することでたくさんのケースを予想&解析できると思ってます。でも、個別の案件にこちらから首を突っ込むほどお節介するつもりはないし、それほどヒマでもありません。アナライズとアドバイスはできる範囲で手伝いたいと思ってます。
原作とは別物ではありましたがこれはこれですごく面白かったというのが私の評価です。原作が既に完結しており、遠慮ない設定変更がなされた作品でした。キャラクターの成長物語に仕立てたことがうまく成功したと思います。耕作が「待ってます」と宣言したシーンはなかなか格好よかったです。
「頑張って下さい」
「はい、頑張ります」
やはり、この会話が最終回でもなされました。予想が当たって、ちょっと笑いました。
ビッグコミックオリジナル5号(小学館)に掲載。サスペンス仕立て。美味しそうな名前。へっへっへ(犬)。放火が多いです。
原作とは別物だけど、それなりによく出来てるように思います。一部の視聴者は、原作を読んだらがっかりするかも知れません。< 私にはまったく共感できないことだけど。
本屋で『地球の鉱物コレクション』(第1号)を手に取り、ぱらぱらと流し読みました。すると、自分の記憶にある石の写真が載ってました。独特の青と金属光沢が綺麗な石です。名前は「手稲石」だそうです。二十年ほど前に気に入ってた石の名前が、ようやくわかりました。
1月12日(土)21時から日本テレビ系でドラマ『1ポンドの福音』(原作・高橋留美子)が放送されます。>em>原作と別物であると割り切ってますので、ドラマ独自の設定や演出を期待しています。会長さんが女性ということで、ちゃんと別物になりそうです。
発言数や文字数ではなく交流数でカウントするのがいいと思う。リダイレクト「>」で指名された回数も評価すればいい(分かりやすいハンドルネームの推奨にもつながる)。一人しか在室者がいないとこへ入室するとボーナスになるように設定すれば、交流が図れるかもしれない。
>em>八百万の神々が在るのなら、アニメキャラがその一つであってもおかしくありません。自動車の神だってパソコンの神だってケータイの神だってゲームの神だって在るかも知れません。
数多の闇鍋の中でも「闇カレー鍋」は比較的まともそうに思えます。例の「カレーに刺身」といえども、加熱調理によってシーフードカレーになります。なお、闇チーズ鍋や闇しるこ鍋や闇チョコ鍋は謹んで遠慮いたします。
鏡音リン&レンの関係は「鏡に映ったもうひとりの異性としての自分」だそうです。水をかぶると女になってお湯をかぶると男になる作品を期待してますっ!
許容範囲からはみ出さなければ、それぞれ自由に応援していいと思ってます。
緑色じゃなくてもいいし、サイリュームじゃなくてもいいし、光り物である必要すらないです。カバンに結んだ靴紐の一本でもいいし、拍手するだけでもいいし、イベント後に感想のハガキを送るのでもいいです。
そして同様に、みんなで色を揃えるのも自由なことだと思ってます。さすがに、往年の応援方法(赤い指揮灯と緑のサイリュームの隊列でコール掛け)は許容されないだろうけどね。
昔からのファンであろうとなかろうと、現在のファンであることには変わりないです。参加者の誰もが遠慮することなくイベントを愉しめるのが一番だと思ってます。